鹿友会誌(抄) 「第二十二冊」 |
△亡友追悼録「小田島由義翁」 ○小田島雲樓翁の面影 宮城佐次郎 一、福澤先生を崇拝されしこと 翁は若き時より、福澤諭吉先生の主義に共鳴し、時事新報の如きは拾数年来愛読され し処にして、福澤先生の著書の如きは、遠きは「世界国尽し」より、近きは「痩我慢の 説」などに至るまで、一々愛読されざるはなく、屡々其説を祖述して子弟に示されたり 。常に支那の現状を引いて、余りに孔孟の道を墨守して、実利を賎みたる結果、其反動 を招きて、貪欲飽くなき国民性を形作れるなりと慨嘆せられたりき。 二、史的趣味に富まれこと 翁は、非常に史的趣味に富まれ、好て歴史的の書冊を渉猟せられしのみならず、郡長 在職時代に猿ケ野研究に力を尽され、蒐集材料を青山延光氏の如き専門の史学者に送り て、頻りに田道遺跡の究明に尽力せられしは、能く人の知る処なり。嘗て郡書記小田島 太郎氏に命じて種々材料を集めて、鹿角郡役所創始以来の歴史を数冊に編纂せしめ置かれ しが、幸に郡役所の火災にも免れしを後任者心なくして、只反古として売り払ひたりと聞 き、数年の労を空うしたるのみならず、鹿角郡の歴史として恐らく再び得難からんとて 、其複本を作り置かれざりしを死するまで悔いたりき。 三、西国立志編と日本外史 翁は郡長時代、冬の長き夜に、能く子息等の為めに西国立志編と日本外史の講義を開 始さるゝが常なりき。西国立志編は、若き時より勤勉主義なる翁の尤も傾倒されし書冊 にして、石田八彌氏の如きも、翁を通して此書の感化を蒙りし一人なりと聞けり。日本 外史は、好んで楠氏の巻を読まれ、吾等も始終其席に侍せしが、翁の朗読妙を尽し、子 供心にも拳を握り、悲憤慷慨せしこと今尚心中に歴然たり。 翁は又よく太閤記を朗読されしが、之は生家内田家に蔵せる大冊の写本にて、死去さ るゝ前の冬季も、令閨の為に一時間位づゝ朗読され、音声さのみ枯るゝことなしと自負 されたりと聞けり。 四、女子教育に熱心なりしこと 翁は、福澤先生に傾倒されし結果にや、女子教育へ早く着眼され、夙に鹿角婦人会を 起し、毎月の例会には必ず出席して一席の講話をなし、始終郷党の婦人啓発の為に尽瘁 されしこと少々ならざりき。往年鹿角教育会は女子教育の功労者として、翁を表彰せし も宜なる哉。 五、寸陰を惜みて活動されしこと 翁は若き時より、名だゝる活動家にして、朝は四時頃に起き外を掃き、又は朝飯をた き、役人時代はそれより出仕、帰宅の後は草取り、書見接客等に時を費し、喪就寝前の 晩酌に及ばれき。而して其間に少閑あれば鼾声を発して昼寝を試みらるゝを常として、 手を措き徒然に苦しむが如きことなかりき。後年閑地にありし時代にも、「習字」「紙 撚り」等の課業を増し、毫も休養を望むの色なく、「人間は働く為めに生れたれば、死 ぬるまで働くが本望なり」と常々云はれたりき。 |