鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録
○村山榮太郎君
 君は花輪町村山勇彌氏の息、少時より教育界に入り、花輪小学校より長谷川、尾去澤 の両校に歴任し、更に小坂鉱山に教鞭を執ること四年、次で尾去澤の元山に転じ、秋出 京して芝区三光小学校に勤務すること六年、大正三年、故ありて帰郷、母校より宮川に 転じ、最近は不老倉鉱山にあり、孜々として倦む所なかりしが、往来好酒客たりし氏は 、過飲累をなせるにや、俄に心臓病を発し、花輪町に帰りて静養せるも遂に癒えず、大 正八年四月遂に没す。行年四十六歳、悲しい哉。君、小坂にあるや、催眠術を研究して 其の堂に入り、治療を請ふもの一時、門前市をなしたりとぞ。又射的に巧にして、小鳥 等を打つに殆んど百発百中の手際ありしと云ふ。

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