鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「人の死」
二、立山理学士
 小学校より大学まで、終に首席を以て終始せる其学才の非凡は、寧ろ奇蹟的に驚異の 目を瞳らしめたものだ、吾人の故人を驚くのは、其学才の非凡を単に見ての事でない、 吾人をして敢て死馬に鞭とする勿れ、故人の為人に於いて月並的学究臭のない事であっ て、好漢又は快男子の分子は、頗る饒多に包含せられて居た一点を語る為めには、勢其 逸事を語らなければならぬ。
 
故人は酒も飲む、女も好な歌も歌ふ、艶福なる情史一篇は、却々自称色男の企及を許さ ぬものもあり、自己の学才を鼻にチラチラさせて不遜慢心の色は毫もなく、学舎にして 学舎臭くなく、色男で色男らしからず、芸なき如くにして芸あり、秀才にして慢心なく 、酒飲でない様で大に飲み、真面目な人でありながら、大不真面目な処もあり、凡ての 方面に裏切りて居る人で、彼の学問の出来る人物と云ふ吾人の概念を一切打破った処に 故人の為人は面白いので、ニュートンは一の変人であったと聞くが、故人は俗人にして 変人でない、而して学才に於いて非凡である。是れが多く比儔を見ざるの異材であって 、品彙を抜いて居る点である。即ち堕し易き弊に堕せず、傾き易き癖に傾かず、是れが 故人の偉なる処である、
 今や亡し、痛悼の辞を知らぬ、今頃は白玉楼中、天女を左右にして騒いで、且つ極楽 の函数論でも研究中ならん。

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