鹿友会誌(抄) 「第二十一冊」 |
△亡友追悼録 ○人の死 東京 長松生 一、小笠原大尉 僕は未だ故人と親交なし、故人の聲(耳は言の聲)咳に接して未だ故人に対するの概 念を作た事はない。併し見たことや故人についての多少の噂は聞いたことはある、故に 書けば相当に材料はたる。併しながら僕は別の方面から故人を悼んで見たい。 鹿角の地、南北に長く、其南北に各一個の土豪が居る。一は北に隅を負ふ故小笠原大 尉其人である。他の一は南に長嘯する内田老工学士だ。北鹿に於ける故人は、祖先の七 光りに故人の人格を加速度として、小坂自治に尽せる功績は蓋し、鹿角麒麟閣上に図す るに足る。結果の上より之れを見れば、功績あれば十分だが、吾人は結果の由来する原 因より遡りて、深く精神に闡入して、至誠の在否を探求したい。 人の功罪は単に出来上りの結果を以て、其れを頌往を濫りに奉るのは実に早計にて冷 静の批評でない。此慎重より故人の公人としての功績を批判して見るのは、後進者の筆 の上に於ける春秋の威力である、孔子も諸弟子景仰の筆に始めて千歳に生きたのでない か、耶蘇も釈迦も又然りである、後進の筆の威力は、先輩の生前の功績の最後の判断を 下すの権威である。 君が小笠原家の名家に生まれて、祖先の七光に浴して祖先を恥かしめず、一生涯を公 生活に捧げて、小坂の田園をして蕪せざらしめたのは、徳としねばならぬ。故人の如く 郷党の為めに捧げて終焉を告げたるは、憂国の国士、其身を処するに道に適せるもので ある。 |