鹿友会誌(抄) 「第二十一冊」 |
△亡友追悼録 ○第五高等学校教授理学士 立山林平君 理学士立山林平君は、我が郡の有する唯一の数理学者にして、夙に学会より前途を嘱 望せられ、吾等郷友亦窃に是を誇りとしつゝありしにも拘らず、所謂才子多病の諺は、 君の為にも真実なりしか、僅三十一の壮齢を以て夭折されたるは、啻に郷友の恨みとす る処なるのみならず、我が国学会の損失幾何なるやを知るべからず、噫、天何ぞ斯くも 無情なる。 ○略歴 明治廿一年十二月廿八日 毛馬内下小路に誕生 同廿八年四月 毛馬内小学校に入学 同卅四年三月 同校高等二学年を修了 同卅四年四月 大舘中学校に入学 同卅九年三月 同校を卒業 同卅九年八月 第二高等学校第二部乙類に入学 同四十二年七月 同校を卒業 同四十二年七月 東京帝国大学理科大学数学科に入学 同四十五年七月 ダヴィットモルレー博士紀念数学賞を賜はる 大正三年七月 同大学を卒業 同三年十月 第八高等学校講師嘱託数学科担任を命ぜらる 同四年七月 同嘱託を解かる 大正四年十一月 第五高等学校教授に任ぜらる(高等官七等) 同四年十二月 従七位に叙せらる 同六年六月 高等官六等に昇叙 同六年七月 正七位に叙せらる 同七年八月七日 午後五時於郷里死亡、享年三十一歳、超えて九日遺骸を毛馬内町仁叟 寺に葬る ○法名 顯理宗林禅居士 ○弔詞 君の逝去に対して級友総代高橋克三、毛馬内小学校同窓会幹事総代黒澤小二郎、第五 高等学校長吉岡郷甫、同校友総代米山國藏、同生徒監小松倍一、同生徒総代桑原五郎、 東京学士会、第二高等学校同窓会代表工藤壮吉、大館中学校同窓会代表小笠原牧太、毛 馬内青年会幹事の諸氏、何れも懇篤なる弔詞を寄せられ、又樋口定三君は吾が鹿友会を 代表して霊前に弔詞を朗読せり。 ○詩歌 哭林平立山理学士賦此代香花 大舘三の丸 笹島定治 未論心事慕芳名 黒廓文章読忽驚 正是国家多難日 悲風何耐太無情 立山林平氏の遠く逝かるゝに 立山香峰 捻香林 実となりしはかりを 風の桜かな |