鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「立山林平君」
○天才立山林平さん   仙台 莞伯生
一、林平さんは天才
  尋常小学校一年生から高等小学校、中学校、高等学校、大学と、其進級の際には、 常に首席を占めた林平さんが、神童であり天才であったといふことは、それだけで証拠 立てらるゝ。
 中学四年生の時、既にスミスの大代数を独学で終ったといふことは、虚言のような事 実である。大学在学中、非凡なる数学の天才なるの所以を以て、奨学金を授与せられた ことや、帝大卒業当時、例の恩賜銀時計の一候補者たりしことは、新聞紙上にも皆さん も知らるゝ処でせう。
 新しき理学士さんといへば、直ちに中学校教諭の席を聯想せしむる当時に於て、林平 さんは卒業早々、名古屋高等学校の講師で、次いで熊本高等学校教授に昇進し、近き将 来の新博士として期待らせれたのであった。

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