鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「小笠原勇太郎君」
○嗜みのある人   台北 大里武八郎
 小笠原勇太郎さんとは、随分長い馴染であった。明治二十一年私等が初めて遊学した 時も、内田平三郎さん、伊東吉助君、石井末太郎君小笠原勇太郎さん、亡くなった吉田 力さん、私の兄(医学士)など八人(?)一緒だった。それから私は駿河台の成立学舎 に通学して、高等学校の入学試験も一緒に受けた事もあったが、その後勇太郎さんは、 早稲田専門学校を卒業されて、一年志願兵となり、戦役従軍の関係があったとは云へ、 一年志願兵出身者で大尉まで累進されたのは、世間にも其の例が多くあるまい。帰郷後 は小坂町政その他郷里の為に熱心尽力されたことは今更申すまでも無いが、さう云ふ職 掌柄にも似はず、人格円満温厚、頗る多趣味で、茶道の如きは、東京留学中、故丹野茂 承翁に就て奥許しまでも取った位で、誠に嗜みのある人であったが、世を夭くされたの は如何にも悼むべき次第です。 (先頃上京の際の談話)

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