鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「小笠原勇太郎君」
○小笠原君と町自治
 君が小坂町治の衝に当られて以来、力を入れたること共に事実に就て単簡に挙げて見 ると、明治四十四年一月町長に推さるゝや、先づ財務行政に力を注いで、財用の出納 を明かにしたこと、財用を節して基本財産の蓄積を図られたこと、勤倹の思想を鼓吹し て貯蓄の美風を養成されたこと、並に納税組合を組織して租税滞納の弊を矯められたこ と、次に風紀の改良に勉めて、宿年の懸案たりし神社統一実現を見るに至りしこと、 普通教育に力を致して教員の優遇、校舎の増築、進んでは実科高等女学校を新設して大 に女子教育の振興を図られたこと、人材を養成する為に育英会を設立されたこと、又其 次に交通の不便を憂ひて、里道の新設改築を行へること、勧業行政としては農業技手を 置き、普通農事の改良を行ひ、以て農民の福利を進められこと、救済行政としては、賑 恤規定を設けて極貧自ら生計を立つる能はざるものを救恤せしこと、其他町の福利公益 に関するものは一として研究せざるなく、研究して之を実際に施設せざるなく、而して 其施設悉く機宜に適し、孰れも其効を収めざるものゝ無かった事等であるが、如何なる 事業にも熱心誠実之を遂ぐるにあらざれば已まず、是を以て庶績夙に挙りて、些の遺憾 なく、従って名町長の名、到る処に嘖々として町民皆満腔の尊敬と愛情とを捧げて居た 。

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