鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録「青山七三郎翁」
○唯一つ   東京 川村五峰
 未だ馬車鉄が前世紀の交通機関として東京市内に運転されて居た時分のことであった かも知れぬ。偶々品川駅で(?)翁に御眼にかゝった、その日、事業上の用事で横浜へ 行かれたが、誤って鉱石の為に脚を挫かれたと云ふ事で、大層御困りになって居られた ので、わたしは停車場からお負って馬車鉄まで連れて行ってあげたので、翁は大層喜ば れた事があるが、此の一事を翁は余程感銘されたものと見えて、その後御眼にかゝる度 に必ずこの談をされるのが常であった、
 
 最近原内閣が成立し、南部同郷会が原敬さんの為に祝賀会を催したる答礼として、会 員一同を永田町総理大臣官邸の晩餐会に招ばれた時にも、翁はわたしを柳館清太郎君に 紹介されるのに、矢張此の時の事を想ひ出されたらしく「私はいつぞやこの川村さんに 大層御世話になった、川村さんは親切な方です」と語られた様なわけだった。その時の 光景が今もまざまざとわたしの眼前に髣髴してゐる。翁についてわたしの知って居る逸 話と云っては、唯一つこれだけである。

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