鹿友会誌(抄)
「第二十一冊」
 
△亡友追悼録
○追悼辞
 いかなれば、天は吾が郷友の上に、かばかりの禍厄をば降さるゝぞや。我等は大正七 年七日、思ひもかけず、吾が在郷の先輩として、内外に重きを為しつゝありし大尉小笠 原勇太郎君の訃に接して、驚きの胸なほ平らかならざるに、後一月郷友中唯一の青年数 学者として前途を嘱望せられたる教授立山林平君を亡はむとは。そりのみか、更に大正 八年五月十一日には、力行老練の鉱業成功者たる青山七三郎翁逝き、同年十二月郷里尾 去澤の故老にして篤学の高士たる川口理仲太翁の簀を易へられたるあり。また、夙に米 国に渡航して丹青の技を練ること数歳、将に錦を衣て帰朝せむとするや、図らずも病魔 の冒す処となり、懐ひを故国の空に走せつゝも、万里の異境に夭折したる小泉政吉君の 如き、嗚呼何等の痛恨事ぞや。その他青山守太君、村山榮太郎君、關文治君、小田島義 六君、奈良雄次郎君等、或は青春多望の身を以て、または畢生の業半ばにして世を去ら る。真に哀惜の情禁ずる能はざるものあり。茲に鹿友会誌第二十一冊を発刊するに当り て、その生前を録し、謹んで追悼の微衷を表す。

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