鹿友会誌を紐とく
第二十冊(大正7.8)
 
△「東北の人心を一新せよ 前農商務大臣・衆議院議員 河野廣中」
 歴史的に見れば往時東北人は、自主独立の精神は旺盛であった。江戸開府以降、江戸 文化を迎え入れ、文弱の風に染まり、遂に今日の如きに至った。
 明治初年より私は民憲思想の伝翻に半生を費やした。願望の帝国議会が開設されるこ とになったが、依然として旧式政治でがっかりし、政界を引退しようとしたが知友の勧 告もあり、第一回議会に出て以来、今日に至った。
 
 昔(明治十四年頃)自由党を組閣した際、奥羽七州の同志と誓ったことがある、「将 来真に民権自由を確立し、第二維新の大業を成就するのは、東北人の重大な責務である」 と。しかし、依然として無為安直の夢に耽っている。
 須らく人心を一新して、自主独立の精神を振興するは、刻下東北人の最大急務である。
 
△「気炎録 大阪 奈良一生」
 現時学生は、遠慮勝ちである。学生時代は無遠慮に気焔のありったけを吐いた方が良 い。
 在京会員幾十名中、一向に顔を出さぬ方が多い。用事がない限り、顔を出した方がい い。遠慮なく意見を言い、馬鹿臭くならぬ様改善策に努力するぐらいの親切があって欲 しい。
 名簿によると転々と職を変えている御仁もあるが、出来るだけ尻を落ち着け、経験に 経験を積み、大事を托するに足らぬと思われない方がいい。
 本会が隆盛になって行くのは、会員諸賢の会を愛する精神にほかならない。理屈抜き に多数会合し、話し合って欲しい。
 
△「郡勢一斑 鹿角郡役所調査(大正六年)」
 人口 六三、〇六四人
    出生 一二、八二六人
 就学率 九八・五二%     大湯 一〇〇%(一、一四三人)不就学児童は天下稀に見る
 
△「郡の一隅より   北斗生」
 諏訪文学士(冨多氏)は、村農会長として熱心なる農事家で、知らぬ人は農学士と思 ふ程、後進に範を垂れる様。
 秋田鉄道、毛馬内駅から毛馬内迄伸びるか、小坂迄、また大湯・不老倉から三戸へ連絡 すれば如何。
 今日の日本の女子は、小学校を出たばかりで良いと思う父兄や教育家があったら、大 変な間違いである。実科女学校ぐらい出ないと、将来の国民の母として不十分である。 現在でも郡内の有識者や教育者に間違った考え方をしている者もあるので、一言してお く。
 世の中が進めば進むに従って人の智識も進み、政り事もあらゆる改善を加えて、社会 の進歩と並行する様持って行かなければならない。
 鹿友会の学生諸君も、時世の進運をわきまえ、本分を誤らぬ様奮励努力せねばならな い。

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