鹿友会誌(抄)
「第二十冊」
 
△須内・高橋両秀才を弔ふ   東京 長松生
 緒言
 曩に青山雅雄君を弔ひ、今須内・高橋両君を弔ふの辞を書かねばならぬ、是等の各君は 皆、余より若輩なり、寧ろ余の弔辞を書くべき義務ありながら、余に弔辞を書かれると は、歯弊舌存、寔に人の寿命程解らぬものはない、余の如きは徒に厖大なる巨躯の所有 者であるけれども、年中薬と親み、最近十ケ年間に既に三四ケ月の長入院を四五度もし て居る、其都度瀕死の大患のみして居る、其大朽木たる余は、長生してゐて、余の馬齢 に如かざる若輩は、前途相続いて簀を易へるとは、人物経済上の恐慌でなくて何んぞ、 而かも其各非凡の英俊の青年なる点に於て、鹿友会の光彩の上に、能率の上に、質量の 上に、容積の上に一大損失である、余は是等麟児が洋々たる前途を有しながら、夭死せ らるゝにあたり、其余韻ある死を弔ふて遺憾なき才筆なし、唯だ尾山の在京会員たる所 以に於て、秀筆を呵したるまでにして、学兄内田法学士在京ならば、勿論内田君の霊犀 たる文才に故人を髣髴して貰ふのであった、此の意味に於いて、故人等死しても又不幸 なりと可謂矣。

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