鹿友会誌(抄)
「第十八冊」
 
△故青山雅雄君
二、小学時代
 君の小学時代の学力は優等組の方であったが、成績は暗記物、読書、作文と云ふ方面 に優秀で、数理の方は比較的劣等であった、家庭では我侭一杯の、梁の下の将軍である だけ、コセコセしないで無邪気な奇麗な少年であった、卒業の時は優等五人中の五番で 、奇く貧乏神を免れたのだ、卒業式の時、優等でないとの評判を聞いたと云って、式に 参列しない様であった、其時の一番は今の秋田聯隊に在勤中の工藤中尉で、此人は非常 に苦学した人で、高等学校(法科)と士官学校の入学受験に両方とも合格した、今や陸 軍大学入学準備に熱心して居る、阿部淳君大館中学優等卒業、能弁達人の才子、小内藤 湖南君と称せられしもの誤って朝鮮に去りて、農に帰して聞ゆるなし、浅野末太郎君工 手学校首席卒業、仙台高等工業学校選科を優等卒業して、今は生野にありて技士たり、 須内圭資君独学能く医士となり、某病院副院長となる等、多士済々として、尾去沢小学 の黄金時代と称せられし時代に、我が青山君は優等卒業をしたのであった。

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