鹿友会誌(抄)
「第十八冊」
 
△故青山雅雄君   長松生泣記
一、発端
 文豪の未成品青山雅雄君は死んだ、君は松風と号して俳句に、散文に、素人離れのし た技倆があった、尾去沢の人で厳君の熊次郎氏と父子二代の鹿友会員である。君の天才 は、幼より既に著しき長所を発揮して居たので、数理に関する方面は、君自らも常に白 状して居るが如く、最も短所として居た、
 
 尾去沢辺りの人間は、飯を食ふには何んでも工業に限ると思ふて、猫も杓子も工業 工業と云ひ、兄も又爾く信じて居る、常に槌やタガネで飯を食ふて居る者のみを見て居る ので、飯を食ふには天下是に限ると信じて居る者の多いのも無理はない、
 自己の使命は何んか、長所は何かは一切顧みるのでない、雅雄君も他人も許し自己も 信ずる長所とする所に思ひ切って身を投ずることも出来ず、始終惑ひつゝ逝きたるは残 念な事である。併し君をして初めより文学に専心力を傾倒せしめたならば、既に文才天 下に称せられ、寿命も長く今夭死することはなかりしならんと思はるゝに、十日の菖蒲 で憐惜に勝へめ、
 君と僕とは生前中、比較的意気投合して、互に死んだら後に残りし者は、其逸事を大 胆に、無遠慮に、赤裸々に世の中に発表して、欺かず飾らぬ真面目を世に紹介するの約 があった、故に余は君の逸事を有のまゝ書いて、君の俤を読者に髣髴したいと思ふので ある。

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