鹿友会誌(抄)
「第十八冊」
 
△亡友追悼録
○目時平次郎君 君は明治三十三年四月東京京華中学校を卒業するや、同三十五年四月 仙台医学専門学校に入り、同三十九年九月同校をへて再び上京し、土肥医学博士の門に 入りて実地研究を積むこと三年余、次で芝区兼房町に開業されたるが、大正元年四月、 年俸千二百円を掛けて広島市駆黴院長兼警察医に聘せられて赴任せられたるも、偶々病 を得て、同三年四月職を辞し、郷里七滝村に帰省して、専ら静養に手を尽されたるに、 同六月初旬病革まりて又起たず、同九日前途有望の身を以て逝去せらる、享年三十有六 、真に痛悼に堪へず。

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