鹿友会誌(抄) 「第十六冊」 |
△故人月旦 ○緒言 弾正少弼 敢て僭越に春秋心を誅するの心を借り、墨絵より猶ほ儚なく去り、吾人の記臆を脱せ んとする物故の先輩をば、後進の礼を以て草葉の蔭より喚起し来たり、現在に髣髴とし て蘇生せしめ、再び其面目を新にし、其幽魂を慰め、且つ近き将た遠き将来に於いて、 ヤガテ死するべき運命を有する者の猛省を促し、前に誉めるも後に譏なきの勝れるを教 ひ、先輩百年後の毀誉褒貶の権は、後進者八寸の毛錐子の端にあるを注意し置かんとす るにあり。 一、渡邊小太郎 善悪は暫く置き、鹿角出身者中、新聞に肖像を出され大活字で書立てられ、天下の視 聴を集めたる者は、人々の渡邊小太郎であろう。尚(人偏+尚)し夫れ星享の如き怪傑 に向ふて、君僕の口調で友人的対話の出来た者に至りては、彼の外鹿角では未だ空前で あろう。故に我輩は、彼を筆頭第一鎗玉に挙げ品隙することにしたのだ。 彼が郷里の父老より彼の行蔵を聞いて見れば、彼は到底畳の上で死ねぬ人物であった らしい。弱冠既に貨幣贋造をやって、辛うじて北海道に高飛し縲紲を免れ、更らに上京 して代言人となり、彼の三万円事件を犯し、悪運再び強く時効の為めに罪とならざりし も、政談演説で遂に入獄した。出獄後も八方手を出したが、開運に至らず好漢惜しむべ し早世した。 嘗て彼の帰省するや、故郷の父老に置酒し、盆踊を踊らせ、憑凡に臂を凭せて荐りに 豪傑笑をし、盛に満を仰りて父老をして膝行して酌せしめ、目仰して恐入らしむ。心私 かに沛公帰郷、歌を吟じて豪傑がりしなどは、稚気愛すべきものあった。 然らば彼は豪傑なりしかと曰ふに、否な然らず、悪事を働く癖に、頗る小肝者で、入 獄の時警察の令状を受取た時には、顔色蒼白となり、慓へ上がたと伝へられて居る。夙 に風塵に敞(足偏+敞)薛(足偏+薛)ヘッサツして、潮海の辛酸を具さに嘗め尽し、態度 雋烈、大難を屁とも思はぬ度胸は出来て居たうと思はるゝに、思ふた程でなかったらし い。 彼は他人、換言すれば後進者又は鹿友会とは没交渉で、門下に子分として養成すとか 、死士を養ふて異口大に用ゆるなどの事は無かった。唯だ故郷の父老に置酒し、己の金 力、換言すれば生活の余裕を傲る位のもので、自家の生活を離れて天下の志を抱く柄で はなかったと想像せらるゝのだ。併し妻妾骨肉には篤かりしと聞く。然るに其妻妾骨肉 は他人の後進を世話するよりも、割の悪い仇敵であった事を悟るの明はなかった。或は 自己の書生と姦するもの、自己の妾と通ずるもの、或は自己の遺産を亡ぼすもの、或は 自己の死後貞節を守らずして、若い男を拵いて家財を蘯尽するもの、或は自己の委託財 産を失敬するもの頻々として相継いだ。勿論之れは彼れ人物の反影で、彼が銷金窩裡蘭 燈の影繍褥に横へて暗く斜なる所、紫に戯れ紅を弄んだ報で、家庭の乱脈を来したのだ 憐れむべし、彼死して数年ならず、一家悉く滅び、家族四分五裂した。爾来春風秋雨 幾星霜、彼の墓木拱せんとして草茂り苔老へ虫悲し、遂に無縁仏となり、妻子亦其墓 を展せず、勿論彼生前恩顧を蒙りたる後進者もなければ、彼が為めに一主(火偏+主) の香、一枝の花を手向けて、懐旧の涙を注いで、塋草を摘む者もなく、恩人の一家なり 、善後策を講ぜざるべからずとして、家政整理の難局に当るものもなく、遺愛を引受け て世話するものもなく、彼生前恋々惻々として慮りし妻子の計、回顧すれば転々惨絶だ。 秦を亡す者は胡にあらず胡孩なり、自ら始皇と称し万世一系四海に君臨せんと 慾張り、一朝禍起る蕭墻の内、渭水咸陽復都せず、僅か二世にして亡ぶ。 唐様で売家と書くもの決して他人でない、自己の子孫だ、如何に英雄豪傑でも、自己の 死後、子孫淪落の行為を草葉の蔭より牽制することは出来ない。此事は解せたら人間は 子孫のみ当てにせず他人の篤信高義の者を鑑識し、積善を施して余慶を享くること、考 ふべきだ。 此藻鑑文に彼、必ず黄泉にありて、会心の笑を洩して首肯してるであろう。(次号は折戸龜太郎君) |