GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

町井正路:調査研究への道しるべ

△宮澤氏の所感
 「写真」のコピーを見られた宮澤氏からのメールを、 「所感」と題してご紹介する。

……
 さて,書き込みの内容ですが,んー,何とも言えませんね。
 扉の部分はファウストと関係ないようなものもありますね。
 恐らく決め手は「謹呈 夏目漱石先生 訳者」ですよね。ただ,その献呈の辞の相手 と,書き込みの主が同じ人物かどうかは?ともいえます。(筆跡鑑定でもしていただかな いとわかりませんね。東北大学図書館のHPに漱石自筆資料のPDF版があります。比較し てみると似ているとも言えますが,同一人物だと断定する決め手もありません。)
 
 こう言っては何ですが,町井氏の翻訳について,上田敏の手紙にもあるように,あまり評 価されていなかったのではないかと思います。鴎外も後から翻訳についてで先行訳の 高橋五郎訳,町井正路訳の功績を褒めながらも具体的には高橋五郎訳しか言及しており ません。そういう意味では漱石もディレッタントとして町井氏を見ていたのではない でしょうか?
 他書の書き込みと比べてみないと何とも言えませんが,神経症で、かんしゃく持ちの漱 石のことですから,斜に構えて気楽に書き込んだとも考えられます。
 
 157頁の書き込みは恐らく誰かが訳し直したものですね。但し高橋五郎訳でも森? (區偏+鳥)外訳でもありません。
 町井は「直接に贈るのが一番だ」と原文 gleich schenken を誤訳しています。
 gleich は「直ぐに」という意味で,「直接に」ではありません。書き込みの主はきち んとそこを正確に訳しているので,原文を参照したか,あるいは英訳などをを参照した かだと思います。つまり部分的かも知れませんが,この書き込みの主は原文,または英 訳のようなものを傍らに持っていて適宜参照しながらこの訳本を読んでいたことにな ります。書き込みの最後の部分「これは一工夫せずはあるまい」は原文 Ich muss ein bisschen revidieren. (ちょっと点検せねばいかんな。)から考えれば誤訳または 意訳ですが,訳文としては名文ですね。
 
 159頁に関しても同様です。「今日遇った紳士は何と云ふ方だらう,誰か教へてくれる 人はないか知ら」の部分を書き込み者は「今日のアノ人が誰か分かるのなら私,何でも 惜かないと」と直しています。ここは原文 Ich gaeb was drum, wenn ich nur wuesst, wer heut der Herr gewesen ist! を考えれば書き込み者の方が正しい訳です。
 ちなみに?外訳は「けふのお方がどなただか知れるなら,何か代(かはり)に出しても好 いと思ふわ。」です。
 
 197頁も同じです。町井訳はここでも原文 sich hinzugeben ganz und eine Wonne zu fuehlen, die ewig sein muss!(自らを投げ出して永遠でなくてはならない喜びを感じ る) を「彼女と合体して...」とありゃりゃ,ちょっとまだファウストはマルガレーテ の貞操を奪っていませんよ?と文句つけたくなる早合点が有りました。書き込みの主は ここを「この身をすっかり投出して感じる思ひも永久でなければならん」と正確に訳 出しています。
 
 この書き込みの主はけっこう名訳です。漱石の書き込みならば貴重ですね。彼にはファ ウストの翻訳なんてありませんから。
 町井氏は当然格的には夏目漱石を尊敬する立場ですから,夏目が町井訳を受け取って 「ドレドレ,添削してみようか」と書き込まれても当然の立場です。漱石が仮に書き込 んだとすれば,訳文を読んでどうしても合点がいかない部分を原文か英訳を参照して正 したのかも知れません。漱石は英文学者であり,英国に留学しましたので,英語には堪 能だった訳ですが,ドイツ語もできたようです。漱石門下の小宮豊隆(東北大学初代独 文科教授)が後年岩波書店の雑誌『図書』(1951年5月号)に以下の文を書いています。
 
 漱石先生にドイツ語を教へたことがある。當時私は東新君からアンドレイエフの短篇 のドイツ譯を紹介され、それにひどく感動してゐた時だつた。私が先生の爲の教科書 として選んだのもアンドレイエフだった。その時丁度丸善に『七刑人物語』が來てゐ た。先生の日記を見ると、三月七日日曜日の項に「Die Geschichte von den sieben Gehenkten」とだけ書いてある。先生が亡くなつてから、先生の書棚の下の戸棚から、 思ひも掛けず先生の大學時代の試驗の答案が出て來た。調べて見ると、それには先生 のドイツ語の答案もまじつてゐて。それが悉く九十點だの九十五點だのといふ優秀な 評點がついてゐるので、ちよつと驚ろかされた。
   以上のような観察から言えることは,表紙の部分はよくわかりませんが,本文の書き込 みは間違いなく誤訳を正しています。ただ,漱石の真筆かどうかは誰かに鑑定でもして いただかなければわかりません。(東北大学のPDF版を見ると,漱石は漢字カナ文での筆 跡が多く,漢字かな文での筆跡は結構後に手記などで見られるようです。何か使い分け をしているかも知れません。)
 
 扉の部分はもう少し調べなければわからないと思いますが,ただ,扉の反対側の薄い紙 の書き込みに作家名が列挙されているようですが,そこにはGoethe, Dehmel, Renauな どドイツの作家,1人だけ日本人がいますが,阿部次郎は後にファウストを訳した漱石門 下の哲学者です。扉の部分の「かーちゃは天女,天使」「信ぜよ此の世は楽園なるを!」 「信じて努めよ!」「ほんに思へば浮世は鏡,笑ひ顔すれや笑ひ顔。」(これ都々逸でしょ うか?)はイタズラ書き?とも見えますね。ただこの筆跡がすべて同一人物の者なのかど うかは分かりません。
 謹呈の部分のコピーが黒ずんでいるのは,実はこの町井訳,見返しの部分がつやのない 紺色の紙なのです。ここに筆で謹呈を書いたとすると,コピーしてもこのように黒ずむ のは当然かと思います。
 文字について一言,変体仮名が使われています。つまり明治政府が定めた正体仮名以前 に文字に親しんでいた人物,または古い文字に明るい人物の筆記でしょう。
 
 以上,今のところわかることを書いてみました。
 本当にコピー,ありがとうございました。感謝いたします。
 
 宮澤義臣

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