GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

『ファウスト』と町井正路:宮澤義臣氏特別寄稿C

 私は専門はドイツ語学(言語学)でして,ドイツ文学ではありません。しかし『ファウ スト』が中学生以来大好きでそれが縁で大学でドイツ語を学びました。中学生の頃か ら,神田神保町へ足繁く通って,古い訳本を漁ったり,戦前の注解書を探したりしていた のです。町井訳は1984年7月14日に神保町の田村書店で購入しています。当時まだ大 学1年生でした。数年前から,インターネットのおかげで徐々に昔手に入れられなかっ た資料が入試出来るようになり,本当に自分の興味を満たすためではありますが,集め てきた訳本の訳者について調べています。その延長線上で貴HPを見つけたのでした。 それまでは図書館で紳士録やリファレンスを調査しても町井正路の経歴はほとんど分 かりませんでした。(鹿角市出身なんていう情報は皆無でした。)国立国会図書館の蔵 書についても,電算化されてインターネットで容易に検索できるようになったことでわ かりました。
 
 町井の訳した後に,例の有名な鴎外訳(全訳)が出版され(大正2年),同時に帝国劇場で 本邦初の舞台が上演されます。その頃は『ファウスト』ブームになったようで,その戯 曲がどんな話か全く知らない人々が観劇に押し寄せて,帝国劇場始まって以来の満員御 礼だったという当時の報道があります。そういう意味でも当時はインテリの間では 『ファウスト』は大流行していたようです。その布石を作ったのが高橋訳,町井訳なの だと思います。町井訳は明治45年東京堂以外にも大正10年上方屋出版部からも再版さ れているようです。1回の出版では終わっていないのです。それなりに需要があったの でしょう。
 
 『ファウスト』を個人的に好み,個人的に翻訳して出版した人物というのが実は数名 います。つまりドイツ文学者でもないし,演劇・舞台関係者でもないし,それこそ教養 主義はなやかなりし頃に触れた古典として個人的に訳したという類です。私の知る限 りでは東新(哲学専攻の文学士で漱石門下らしい。),小田柿栄一郎(医者で医学博士), 片岡義道(東洋音楽学者であり寺院の住職)の3人はおります。皆旧制高校でドイツ語を 習った際に『ファウスト』に出会ったというような人々です。勿論ドイツ語は確かな 方々です。(旧制高校のドイツ語教育は現在の我々が受けているようなものとは比べも のにならないような膨大な時間数と内容でした。)彼らの訳書の序文には自分と『ファ ウスト』の接点が告白のように書かれております。このような個人的な意味づけで 『ファウスト』を訳した訳者のまさに先達が町井正路なのです。(とはいってもこの3 人が町井訳を知っていたとは思えませんが。)その熱意は並々ならぬものであったと考 えております。
 
 いつか,自分が調べている『ファウスト』の翻訳書たちについて(個人的にですが)まと めたいとは思っています。そのときには,貴HPでご照会いただいた町井正路情報も拝借 させていただきたいと考えております。よろしくお願いいたします。
 
宮澤義臣
東京都世田谷区在住

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