さて,いくつか問題視されると思われるのは,次の通りです。 1.町井の表現している「帝大在学中」とは本当に帝国大学(東京,京都)なのか?それと も後に札幌農学校が東北帝大農科大学になっており(明治40年),さらに大正7年には北 海道帝国大学として独立しているので,『鹿友会誌』が昭和11年に書かれていることか ら,町井は札幌農学校のことをその当時の名称で「帝大」と呼んだのではないか?とい う解釈も考えられると思います。 2.『ファウスト』出版の経緯にかかわっている可能性のある人物,町井が訳本を献呈し た漱石と冨山房の違約に関して鴎外に抗議文を送った上田敏と町井の関係。接点がど こにあるのかわからない。 3.『漱石全集』にも入ってない(もしかしたら岩波書店はその存在を知らないのかも知 れませんよ。)漱石の書き込みは何を書き込んでいるのか?(これは私が一番興味ありま す。)ただ,どうしてその本の書き込みが漱石の自筆だと分かっているのか,その根拠が 貴HPの文では書かれていないので,私としては何もコメントできません。漱石に献呈し たという部分も,漱石全集には町井正路の名前すら全く載っていないので,貴HPの記述 をそのまま事実として受け取る他ないのです。(町井氏から漱石へ書簡でも送っていれ ばこの謎が解けるかも知れませんね。) また,町井正路氏の経歴について,『ファウスト』の序文では、 「やがて学校を卒へて,一時某々の学校に教鞭を執り,次で某々専門校の主理者に任ぜ られた際までも...」とあります。町井は学校で教えていた経歴があります。 また,町井の著作を調べると以下の通りですが, 明治37年 『養畜教科書』興文社 明治39年 『実地応用常食用作物栽培法』耕牧園 明治42年 『実地応用食用作物栽培法』日本種苗出版部 『実用工芸作物栽培法』日本種苗出版部 『新編養畜学』興文社 明治44年 『牧育業発達の歴史』(農事新報5巻9号)農事新報社 大正11年 『都市計画と汚物処理』町井式汚物処理試験場事務所 大正12年 『都市計画と汚物処理』(再版)町井事務所出版部 町井式汚物処理試験場事務所,町井事務所とあるように,独立して会社を経営していた 節がありますね。 以上,私が町井正路氏について現在認識している事実です。 |