GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」

奈良養斎:奈良養齋・眞守養齋・奈良宮司・東岐

 士籍に列す、鉱山奉行。

参考(出典):「鹿角のあゆみ」
 
 通称宮司 尾去沢銅山青山金右衛門の三男に生れ、同山奈良家の養子となった。幼年の 頃から内藤天爵の門に入って経史と医術を学んだ。そして江戸へ上る毎に泉沢履斎、東条 一堂に就いて経説を授けられた。また銅山奉行金矢氏に従って大坂に留まること三年、 その間京坂諸賢の門を叩いて学を磨き、見聞を広めた。帰郷するや直ちに山先役に推挙 されたが、坑夫の信頼を受けて出鉱量が著しく増加したと云う。中年には士族に列し鉱山 奉行となっ諸山を監督した。
 
 藩中において学才比肩する者なく、当時三本木開拓の新渡戸伝氏と共に両雄として 並び称されていたほどである。彼の篤学を慕う塾生は、常に数十人を越え、食客も絶え なかった。医術においても名医の噂が高く、やがて藩公の召しを受けて侍医となったが、 いくばくもなく勘定奉行に挙げられ、累進して大監察となり、ついに用心に准ずるに 至った。南部藩の莫大な借財を整理し、藩政の宿弊を改めた彼の功績は大きい。

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