銅冶師は、瀬田石の田中家が有名。 参考(出典):「鹿角のあゆみ」
銅冶師は、瀬田石田中家が有名で、佐竹藩の金屋座である五城目の歌代(あやしろ) 家から分れ、元禄年間に毛馬内に移った。付近に白根を始め鉱山がたくさんあった からである。 鹿角郡内の梵鐘は、ほとんどこの田中家の手によって成ったものである。 毛馬内の仁叟寺の梵鐘(宝永元年、鋳師歌代治兵衛、藤原樹正)、花輪長年寺 の時鐘(享保四年、鋳師歌代六左衛門清房)や大湯大円寺の時鐘などがある。 参考(出典):「十和田町の先輩」
田中家は、かつては江州(滋賀県)の鋳物師であった。江戸初期にはこの鋳物師は大量に全国に流れ、 秋田にも数人定着した。田中氏は由利郡亀田に始めいて、のち五城目の鋳物座を経て、毛馬内の瀬田石に移った。 仁叟寺の最初の梵鐘は二百七十年前、田中家の先祖歌代(あやしろ)次郎兵エ製作の傑作だといわれている。
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