南部藩主利済の侍医。 参考(出典):「鹿角市史」
幕末期において鹿角の生んだ最も著名な医家の一人に、工藤玄良(1791〜1864) がいる。玄良こと幼名伊助は、尾去沢銅山廻銅支配人内田九兵衛の三男で、大館町の 叔父川瀬玄昭にしたがって医術を学び、後江戸に遊学し、更に数年の研鑽を積んだ。 帰郷と共に開業したが、その優れた診療は山内(尾去沢銅山)は勿論近隣在町に好評 であった。やがて盛岡役医工藤玄良の養子となり、養家を相続して名を玄秀と改め、 養父の歿後玄良を襲名し、藩主利済の侍医となった。精勤すること数十年、加増と 合わせ禄二七〇石を与えられ、藩主の篤い信頼から、隠居後匙翁の名を与えられた。 |