GLN「鹿角の温故知新への旅・鹿角先人列伝一覧」
青山延寿
「伊寺水門(いしなと)」を特定。
参考(出典):「鹿角のあゆみ」
明治二十三年水戸学派青山延寿が、日本書紀巻の十一に、田道将軍戦歿の地として 記事されている「伊寺水門(いしなと)」は、本郡石野付近であると発表して、世人の 注目を浴びた。この論断の根拠となったのは、当時の郡長小田島由義、郡吏員田中虎次郎 (後の毛馬内町長)、錦木村吏員田口哲郎の調査報告書であった。青山延寿の考証文は、 後に猿賀神社社司津島良太郎が印刷頒布して一般に伝えた。
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