ウ 銅板の出所 (以上の)石川県川良雄氏の調査記録で解明されなかった銅板の出所は、その後、小生が安宅新町史の編纂の資料収集の過程で発見され、銅板は、南部野辺地湊からであることが判明した。 即ち、 参考資料 「近世文書:遭難状況と積荷記録の一部参照」「航海月日」 【播州大阪八荷屋新兵衛廻船朱丸1450石の買積船】 8月18日南部野辺地湊江着船(青森県上北郡野辺地町にて銅積込) 9月 7日野辺地湊出帆9月8日昼8つ時頃西風に相成津軽青森湊江船 9月12日西風のため滞船 夜寅卯風に相成 津軽青森湊出帆 9月13日松前大嶋辺に到達(北海道松町大島)夜西風に相成 9月15日 松前箱館湊江(北海道箱館市)昼9つ時頃入船 9月17日夜寅卯風に相成 箱館湊出帆 9月18日松前大嶋辺に到達 9月19日 夜9つ時頃西風に相成箱館湊へ戻る 9月24日 西風のため滞船 夜9つ時頃寅卯風に相成箱館出帆能登国沖合に一艘見懸るが摂州兵庫高田屋ていほう丸か外船か遠方で不明 10月 6日但馬柴山沖(兵庫県香住町柴山)当たり下り風に相成帆下し沖合いに滞船夜8つ時頃大西風に相成なり神仏に祈願する 10月8日夜に入り風雨強く水船になる。荷物捨て船足速くする加賀国安宅新浦にて破船元船乗込11人、増水主3人、便船乗4人都合18人の内、11人助かり残り7人は高波にさらわる |