幻の郷士・野尻左京
 
△幻の郷士・野尻左京   奈良寿
 本稿は、昭和五十二年二月一日鹿角市文化財保護協会発行「上津野」(研究発表の項)から転載したも のです。本稿をご覧の方々のご意見ご感想をお願い致します。SYSOP
 
一、野尻(阿部)左京は実在した
 天保四年十二月八日、花輪通り上の郷四ケ村の百姓五百有余人が花輪代官所に強訴し 、南部藩第一の分限者佐庄の米倉を破ったことは、前号で詳しく述べたことであるが、 その指導者の一人は、三ケ田村御蔵肝入阿部左内である。左内はこの罪によって財産を 召し上げられ七戸へ追放された。その判決文ともいうべき「被仰渡書」が、曾孫に当る 阿部佐三郎家に保存されている。
 
 昨年の夏、その調査に同家にお伺いした時の事である。数多い古文書の中に「花輪通 御代官所之内三ケ田村畑返絵図面」六枚入という古色蒼然たる袋に「花輪通三ケ田村之 内下モ平と申所、畑返披立場処絵図面」外五枚の毛馬内九左衛門と署名のある古絵図面 を発見した。製作の年代が書いていないので、何時の時代のものとも断定しがたいが、 この古絵図面の中に、数多くの阿部左京地という書き込みがあった。
 
 昭和六年に書かれた曲田慶吉氏の「伝説の鹿角」では、野尻左京は全く伝説の郷士で 、わずかに字名が残るだけであるといっているが、この事から野尻左京は幻の郷士では なくて、この地方に勢力のあった実在の豪農であることが判明した。

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