「鹿角」
 
△八 神秘幽邃の絶勝 鹿角の十和田湖
<十和田湖案内>
 十灣閣なる旅舘の名は、別段奇抜でもないが、其中に面白い話がある、この命名者は東京 十大新聞二大雑誌記者である、それは当湖に灣十個あるが故に十灣田とも書いたものである によったものである、同旅舘落成の折、秋田顕勝会の成立もあり、偶東京新聞記者団の観光あり、 未だ其当時定った名称のない処から、当時報知の記者たる(前代議士)中村千代松氏の発議で 名付親となり、思ひ思ひに投書したる由であった、
 其投書には、
曰く九皐亭、曰く對湖樓、曰く苦談樓、曰く何と其数二十六、然るに時の本県知事森正隆氏 も此一行にあり、投書中の十灣樓なるものあるを採り、樓を閣と改め、是れ日本一なるべしと 披露して、初めて十灣閣と命名せられたものであると聞く。
 
 山境を一巡して帰路に就く人は、鉛山に回るもよからう、鉛山には矢張り旅舘がある、 旧十和田鉛山の跡であって、山道を昇り降りすること六里にして小坂鉱山に出られる、 鉱山を一周して小坂鉄道に乗り、大舘駅に出る事も亦旅行者の知嚢を富ます一方法であらう。
 
  • 旅舘について

  • △十灣閣 明治四十年の新築にかゝる清楚壮麗にして、体裁頗る宜し、八十人位の団体宿泊に 何等差支なし。
    △十和田ホテル観湖樓 和井内氏の宅、鉛の旧山の麓にあったが、養魚場を今の追手に定めてから、 同地に移転したのであった、遊覧客の為め増築に増築を重ねて、今は百余名を容れることが出来る、 発荷十灣閣より左方九町の処にあり、字を追手といふて居る。
    △招仙閣 旧鉛山にあり、早くからの旅舘、和井内養魚場からは湖上舟の便あり、尚湖岸を徒歩 にて約一里位て達する、景色を眺めながら行って止宿するもよろしい。
    △其他の旅舘 黒石方面には相川旅舘、子ノ口に子の口屋、宇樽部に間名旅舘、休屋に十和田舘、 目下青森県保勝会にて新築中のもの等あって、遊覧者にとって宿泊に差支ふるが如き事がない。
     
  • 遊覧舟

  •  八郎太郎の伝説にある南祖坊の住家となった十和田湖に因んだ石油発動機船南祖丸と、奥瀬丸 といふ汽船がある、多数の和船と共に何時でも湖上に浮べて、思ふがまゝに奇勝を探ることが出来る。
  • 電話

  •  十和田遊覧者にとって特に記さなければならない事は、開設せられて居ることである。
     一昨年頃までは、如何なる急須の所要があっても、少くも六里の道を大湯まで態夫を走らせ、之を 弁ずるより他に方法なく、旅行者にとって甚だ不便を感ずることが多かったのである。
     そこで昨年、此不便を取り除く可く、追手なる和井内氏邸に警察電話を架設して、総ての急用に 備へて居る。
     即ち自働車、俥などの必要ある場合に於ては、毛馬内に通ずれば、直ちに用を弁ずることが 出来るのである。
  • 附説

  •  最近東北本線尻内駅より分岐して五戸町を経、十和田通過大湯に至り、毛馬内駅にて秋田鉄道線と 連絡せしめんとする十和田鉄道は、第四十四議会に於て、請願採択となりしを以て、将来之が目的 貫徹の日に於ては、定めし遊覧舎にとって便益の多いことであらう。

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