「鹿角」
 
△八 神秘幽邃の絶勝 鹿角の十和田湖
<十和田の勝景と和井内氏の養魚>
 和井内氏に霊的生命を暗示したる十和田、世界の名所絶景と称へられるもの、少くはないが、 十和田湖は真に世界山水の美を打って一丸となし、更に天工の妙を加へられたものでは あるまいか、遊覧するもの、神飛び魂消え、恍惚として舟子の説明も能く耳に入らばこそ、 只管賞嘆の語を放って措かないのである、島は皆岩石であって、大小高低、各々其趣を異に する姫小松、赤松の繁茂せざるなく、千古の緑濃かに風姿の妙なるは、形容の詞を知らない、
 
 島には夷比壽島、大黒島、兜島、蓬来島、鎧島、高砂島、種子島、ぐみ島等がある。 半島の絶壁断崖は曲折出入、極めて多く、湾となり崎となり、怪岩奇石、相噛み相交へ、 岸壁を破って立てる老幹錯節して、蟠龍の水を飲むが如く、蛟龍の地中を出づるが如く、 虎の嘯くが如く、怪詭万状、送迎に遑がない、自籠の入江、瓢箪崎、高砂浦、尾上崎、 扶桑崎、日暮崎、千鳥が淵、中山崎、何れも懸崖千年の老松を頂き、深潭万古の碧水を 湛え、礁下波静かなる所、鴛鴦夢円かなるに至っては、幽邃の極地、能く筆舌の及ぶ所 ではない。自籠岩、蝋燭岩、劒ケ岩、六方石、烏帽子岩等、各奇怪を競ひ、千丈ケ幕、 子の口の瀧等亦其の荘厳雄大を争ふのである。
 
 湖心に向って二大半島が突出して居る、一は中山と云ひ、一は御倉半島と云ふ。
 十和田神社は中山半島の中にあり、堂は二間四面許りの萱葺にして、古色蒼然たる 小祠である、年々旧五月十五日祭典を挙ぐ、参詣人、夜となく昼となく蝟集して雑踏を 極めるのである。
 此の神秘的なる十和田、霊的なる十和田湖を地理的に見れば、海抜一千四百余尺、東西 三里、南北二里半、周囲十二里、面積九方里、最も深き所は中湖と云ひ、深作実に壱千 百余尺、我国第三位の深湖と称へられて居る。清浄なる湖水は、紺碧深く湛へ、さながら瑞西の ジェネーバ湖にも比すべく、湖沼学上、第三号水と数へられて居る。数千年来、湖内は 水草繁茂して食餌豊であったけれども、古来一尾の魚族をも産しなかった、即ち東北、 所謂子の口方に当って大瀑布あり、魚族の登湖し得ざるに依るものと思はる、
 
 茲に於いて鹿角郡毛馬内町の人、和井内貞行氏の文化的使命を実現し、十和田王として 認容せらるゝに至った由来こそ、好個の立志伝であり、奮闘の歴史であらねばならぬ。
 氏は明治十四年以来、小坂鉱山に勤務し、当時十和田鉱山支所詰となり、鉛山方面に 在って日夕、此の神秘的雄大なる湖面を眺めては、如何にもして此の霊湖十和田の利用を 図りたいものと心胆を砕き、遂に養魚事業に着目するに至ったのであった。
 しかしながら、当湖に古来魚族の棲息せざるは、湖神清龍大権現の然らしむるものとなし、 登山者の如きも、精進潔斎を為すの習慣なりしを以って、同氏の企を一度耳にするや、 神霊を汚すものとして、種々なる迫害を試るのであった。

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