「鹿角」
 
△七 伝説の鹿角
<ダンブリ長者>
 昔、出羽の國獨鈷ノ村に、一人の婦人があった、或夜枕辺に一人の少年が立ち現はれ、 美はしい声を以って、「汝の夫たるべき男は、此川上に在り、其働きぶりは、汝に限って、 常人の二倍に見えん、尋ね求めて、連れ添へよ、必ずや幸を享くべし」と。
 
 婦人は神宣に従ひ、翌朝旅装を整へて、川上を辿り、夕陽将に西山に没せんとして、 晩鴉塒に急ぐ頃、今の小豆澤(宮川村)に到って、柴刈る一人の男を見たのであった、 しかも不思議や、男が一本の柴を切れば、二本倒れ、三本切れば六本倒れる、扠ては此男こそ 夢に告げられた我が夫たるべき人ならんかと、其由を男に語れば、男も喜び、芽出度く 偕老の契りをしたのである、
 二人は共に勤勉のして正直であったから、村人は皆敬服して措かなかった、
 
 或年正月元日の夜、共々同じ夢を見たのである、
 「我は大日霊貴神なり、汝等更に川上に遡り農を勉めば、必ずや千金の富を致すべし」と、
 夫婦、即ち米代川に沿ひ、源を尋ね、田山村を過ぎて平間田ヒラマダに辿り着いた時、日が トップリ暮れてしまった、其処を永住の地と決め、蕨や葛の根を採って食物となし、辛酸を厭はず、 汗と共に農業にいそしんで居った。
 
 或る時或る日、空は一点の曇りさえなく、花笑ひ鳥歌ふ自然の野に、日女日子の二人は畑を 耕して、昼の休みをしたのである、男はうとうとと仮寝を始めたとき、一匹のトンボが 何処よりか飛び来り、男の唇に其の尾を二三触れたのであった、
 女、之を見て怪しみ、男の醒めたとき、静かに聞けば、さも心地よげに、 「吾れ生れて曾つて口にせしことの無い甘い酒を呑んだ夢を見た」とのこと、
 そこで女は、今見たトンボの話をすれば、男は大いに喜んで、 そは愈々神の恵みあらん、と蜻蛉の来し方を尋ね行きしに、果せる哉、一つの岩の壁間から 一条の芳泉の滴りと、無数蜻蛉の群りとを見出したのであった。
 
 無限の歓びを顔に湛え、之を手に汲んで口にすれば、甘露も啻ならず、夢に呑んだ美酒と 少しも違はない、是全く神のお授けもの、と大いに感謝し、やがて諸方へ之を分け予へたの である、
 此酒を呑む者は、如何なる病疾も直ちに癒え、幾度汲むも尽きることなく、聞くとは なしに伝へ聞き、郡内より集まるもの千余人、朝な夕なに米とぐ水は(わらびやくずの粉)遠く 流れて、川下迄も白かったと云ふ、米白川の起りは実にこれからである、
 夫婦富を致すこと巨万、何不足なき暮し乍ら、満つれば欠くる世の習はし、二人の仲に一人の 子供さえもなかった、二人は一意専心、神に祈願した所が一人の女の子が生まれたのであった。
 名を秀子と名付け、蝶よ花よと慈しみ育てたのであるが才色兼備あり、人々から天女の 再来なるべし、と尊まれたのであった。
 
 偖て夫婦のものを、誰云ふとなく長者長者と呼んだが、然しお上の許可なくては、長者と 名乗ることが出来なかったので、人皇第二十七代継体天皇の御代、遥々都路さし上って行った、 やがて其由を朝廷にお願に及べば、「長者号を授くるには、何物か家の宝がなければならぬ、 如何なる宝を持ちしぞ」とのお尋ね、依って霊泉及び秀子なる娘一人持っている旨を言上に 及べば、「そは子宝とて何よりの宝なり」とて、畏くも謁見を賜はり、遂に娘を宮中に残し、 首尾よく長者号を頂いて帰った。
 是只管にトンボに依って長者となったのであるから、ダンブリ長者として云ひ伝へて居る のである。 (ダンブリとは、トンボのことを云ふ鹿角の方言なり)
 今も尚田山村の奥、平間田に長者屋敷と云ふ所が残されて居る。
だんぶり長者伝説

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