「鹿角」 |
△七 伝説の鹿角 <鹿角の国を懐ふの歌 石川啄木> 青垣山を繞らせる 天さかる鹿角の国を忍ぶれば 涙し流る今も猶 錦木塚の銀杏の樹 月よき夜は夜な夜なに 夏も黄金の葉と代り 代々に伝へて新らしき 恋の譚ハナシも梭オサの音ネも 風吹きゆけば吹きくれば 枝ゆ静かに 月の光の白糸の 細布をこそ織ると聞け 十和田の嶽の吉沢の 鬼栖める峡の深みに 古ゆこもれる雲の滴りの 足あとつかぬ岩苔の 緑を吸ひて流れ来し 渓川かけ路小男鹿サヲシカの 妻恋ひ鳴くに人怖ぢぬ 鹿角の国を忍ぶれば涙し流る 其の音世々に朽ちせぬ碑や はた白石の廻廊や 玉垣壁画銅の獅子 又物語りのこさねど 日月星を生むが如 人の国なるさらゝ星 芸術の燭の生みの親 愛こそ先づは若児らの 相思の眉に照り出でゝ 花とし咲くや錦木も 色をぞ添へし春の世に 角笛ならす猟夫らが 弓の弦緒の鳴りの音も 枝にならべる彩雉子の 番ひと見れば鳴らざりし 昔おもへば涙し流る 神の使の羽かろき 蜻蛉子トンボが告げの水の寿に 流れは尽きぬ米白の 水にうるほふ高草の 鹿角の国を忍ぶれば 涙し流るその川に 斎イヅキ心の肌浄め 朝な夕なに研かれて み目も涼しき色白の 鹿角少女が夕づとめ 肩にま白き雲纏ふ 逆鉾杉の神寂びし 根にむら繁る大木の 中に神住む古御堂 壁の墨絵の大牛も 浮きてし見ゆる日暮時 樹がくれ静む秋の日の 黄に曳く摺裳みだれ這ふ 石階ふみて静々と 供御の神米捧げつゝ 伏目に上る麻ぎぬが 藁つかねせし黒髪に 神代の水の香こそすれ かへしの足の小走りに 杉の陰路をすたすたと 露にぬれたる真素足に 行きこそ通へはらゝかす 袖に葉洩れの日を染めて 神の使のダンブリが いのちの水の源を 告げに来る日をさながらに 青駒かへる背セが門へ その敬虔ツツマシさ美しさ 米白川と諸共に 流れ絶えせぬ風流の 錦木立てし若児らが 色にも出る心映え 神代のまゝを目のあたり 見ると思へば涙し流る (三十八年十二月五日夜)
石川啄木が詠んだ歌(リンク) |