「鹿角」
 
△五 鹿角と特産
<鹿角の万年青>
 人間の生活から趣味性を取り除いたならば何れ程か、淋しい寂寞なそして無価値な生 活をしなければならぬであらう。趣味は、人類生命の半ばを占むと云っても過言では無 からう。数ぞへ切れない趣味の中より、最も高尚なものを見出したならば万年青も亦其 の一である。
 近年鹿角の万年青は、我国に於ける同好者間に特に注目せられる様になったことは、 因って来るべき要素がなければならぬ。
 
 明治二十二三年の頃、佐藤要之助氏は当時四五拾円位の呉竹、日月星、残雪、古今輪 の虎等を東京より買入れ、吉田清兵衛氏は都の雪、都の縞、都の錦、都の花等を移入し て培養したものを今日の元祖と為すものである。
 次いで明治二十七八年頃岩泉和三郎、関村忠次郎、吉田理太郎等の諸氏、率先して寒 地に於ける培養の方法を研究し、同三十五年以降に至り東京、山形、秋田方面の商人来 り、同時に地球宝、根岸松、松の霜、玉菱等漸次移入されたのであった。
 四十年頃に至り好商頻りに入り来って、不正の手段を弄するもの少なからざりしかば、 京阪地方を視察し三河、名古屋方面の商人を相知ると共に、麟鳳、明月、龍頭、天錦章、 瑞鳳、瑞祥等所謂貴重品の移入を見たのである。斯くて万年青界に鹿角が台頭したのは、 大正元年の頃からである。
 
 何故に鹿角が万年青を培養するに適したいるか、と問ふ人があるならば一言「作り易 い」からとお答するによいであらう。天恵的好適の地であればこそ、原産地方に於てす ら予防する事の叶はない根腐り、芋腐錆等の被害無きのみならず、南国に於て是に侵害 せられ衰弱せしものを、当地に在って少くも一年肥培管理する時は全く回復蘇生するこ とが確実、他地方に至難とせられる冬季の貯蔵も容易であるに依って見るも、明かな事 実である。近年更に培養技術一段の進歩を示し、芋吹き実生により新種の育成に務め、 現在の貴品としては明冠、明鳳、天錦章等を初めとし、玉泉鳳、国光殿(共に実生)其 他多数の逸品がある。
 
 大正七年同好者鹿角萬生會を結び、岩泉氏主に牛耳を取り、春秋二期品評会等を開催 しつゝある。
 毎年催される三河萬年會同好會に出品せし鹿角万年青が、優等賞を得た事に依って見 ても、他に誇り得る事では無からうか。
鹿角の万年青は何処に

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