「鹿角」
 
△五 鹿角と特産
<あけび蔓細工>
 あけび(木通)蔓細工の現在は、殆んど花輪町特産の状態にあるけれども、是が過去の 道程を概記すれば、仲々に深甚の意義を有して居る、明治三十七八年戦役に際し、各町村とも 出征軍人遺族救護に関する団体を組織し、或は金品を以って、或は労力の補助を以って、 夫れぞれ慰問救済の方法を講じたりしも、戦局の伸展に伴ひ、戦没者の遺族及癈疾の兵、 次第に増加するを以って、独り町村の施設にのみ任ずるは緩慢の譏り免れずと為し、 明治三十八年四月、郡長河野隆性氏唱導の下に「鹿角郡出征軍人遺家族援護会」なるものを 創設し、之が生業扶助の方針を採り、隣県青森より特産として製作販売せられつゝありし 木通蔓細工の頗る有利、且つ其原料は郡内各地の山野に叢生するものなるに依り、同会は 同年十月、同県より教師を招聘して、軍人家族に第一回の伝習会を開催し、百余人の職工を 養成し、数回反復して、茲に初めて斯業の隆盛を見るに至ったのであった。
 
 製品は遠く京阪地方に及び、規模の小なる同会の事業として経営するの困難なるに依り、 組織を変へて鹿角物産株式会社を興し、大々的発展を企てしも、時恰も戦後経済界不振の時に 際会して、破産の状態に瀕し、現今は花輪町山口榮助氏其他二三の個人経営に依って斯業を 継続せられ、一ケ年の製造高約弐万円、販路は主として東北、北海道並に東京、大阪等である。
 
 蔓の原料は、郡内到る所に有るので、七月頃から農家は副業的に之が採取を為すに依り、 続々と出廻る。雪国のものは暖国のものに比すれば、縞が無く色白で柔かで、質が上品ださうで、 原料の儘、長野、青森、鳥取地方に多量の移出がある。原料の移出のみで年々四万円も有らうと 思はれる、四万の原料があるとせば、之に数倍した製品を得べけれ共、素より本郡は鉱業地 のことゝて、労力の多くを之に吸収せられ、折角養成した職工をも奪はれる様な状態であった。
 然し鉱業界不振の今日、相当の職人を得て、製造に従事して居るのであるから、将来更に 伸展することが疑ひを容れぬ、家庭工業として一方意匠の研究を怠らずに突進したならば、 確かに青森、長野と対抗が出来ないことは無からう。

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