「鹿角」
 
△五 鹿角と特産
<鹿角りんご>
 北国の冷たい雪の中に育った吾々にとって、南国の山に畑に常緑木の葉蔭に美しく 色付いた蜜柑が憧憬の一つである如く、南国の暖かさの中に育った人々にとっては、 雪深く積る北国のリンゴも、定めし憧憬の一つでなければならぬ、青、赤、黄、とりどりの 彩りは、画家幾人の妙技秘術を傾注しても、到底及ぶことの叶はぬリンゴの美しさである、 見るに佳く、嗅ぐに良く、味はって更に他果の追従をゆるさぬ鹿角りんごは、三十年の 過去に於て、既に京阪の市場に於て其の盛名を贏ち得たのであった。
 
 明治九年、花輪町吉田清兵衛、村山義和、毛馬内町高橋嘉六の諸氏、初めて当時の勧業寮 より苗木の払下げを得て栽植せしを以って、鹿角りんごの嚆矢とする、当時は未だ之が 栽培の智識経験を有しなかったのと、品種の特性を知らなかった為めに、成績余りに 良好ならざりしも、花輪町佐藤要之助なる人、明治十九年盛岡地方より品質優良なる四百本 の苗木を購入して、之が栽培せし所、其成績頗る良好なりし結果、漸次郡内各町村に数百の 同業者と、広大なる栽培反別を得るに至ったのであった。
 
 明治二十九年、花輪町に果樹協会起り、毛馬内町に産業組合の組織するあり、郡の南北 相呼応して共に斯業の発達進歩を促し、其後、之等を統一して全郡の果樹協会を設立し、 栽培法の研究は勿論、病虫害の予防駆除、移出品の取締り、販路の拡張等に努め、或は 中央より技術官を招聘し、視察員を先進地に派して、只管技術の研究を怠らず、遂に 本郡に於ける特産として広く賞賛を博したのであった。
 
 現在の栽培反別約三百余町歩、反別と其の生産数量に於ては、津軽苹果(リンゴ)一万町歩 の夫れには遥か及ばないけれども、品質香味の点に於て追従をゆるさぬものありしとしたならば、 栽培当業者の努力と風土気候、其他所謂自然要素の天恵に浴することの、特に厚きに依る ものとしなければなるまい。
 
 主なる品種として紅玉、柳玉、国光、祝、旭、魁、倭錦等あり。
 之が栽培地は、花輪町、宮川村、柴平村、大湯村、毛馬内町等の各町村であって、中にも 花輪町の村山元司、瀬田石喜代治、宮川村に於ける岩泉和三郎、田村又藏、柴平村の兎澤徳藏、 米田善次郎、大湯村の中村豊次郎、青山源次郎等の諸氏は、当業者として有力な人々である。
 之が販売機関としては、花輪町に鹿角林檎購買販売組合、柴平村に寺坂苹果信用購買販売組合 等あり、販路の主なるものは東京、大阪、名古屋、枇杷島の各市場である。

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