「鹿角」
 
△五 鹿角と特産 鹿角古代紫絞り・鹿角りんご・あけび蔓細工・まるめろと其缶詰・ 鳴き鶉本場としての鹿角・鹿角の万年青・花輪の柳行李・ラヂウム鉱泉・湯の花
<鹿角古代紫絞り>
 鹿角古代紫の始まりは、今を距る三百三十余年、天正十五年に京都地方より伝へられた ものだと云ふ、所謂世は刈り菰と乱れたる戦国の時代、或は敗軍に世を忍ぶべく奥州に走り、 鹿角の土に止まり、原料の有るがまゝ此の紫絞りに依って、生活をしたのではあるまいか とも思はれる、
 総べて古式の染色は、原料を植物に得て、直接染法を行った此の紫の原料は、多年生の 草本であり、紫の根より採取するのであって、内地に於ても諸国の山野に生え、支那、満鮮、 蒙古地方にも多数成育して居る。
 
 昔は畏くも禁庭に於てお使ひになった紫物は、皆此の古代紫に限られてあったと云ふ、 平治物語り、源平盛衰記を繙けば、「紫裳濃の縅」などとあり、之れらにも使はれたやうにも 思はれる、
 紫根染は、所謂秘伝を以って伝統し来りしかも家系的、企業的でなく、単に技術的に伝へ られたのであった。
 染料紫根は、今日、巌手県と朝鮮慶尚南道大邱地方から購入して居る、現在仕事をやりつゝ あるのは、花輪町栗山文次郎氏と小田切猪太郎氏の二人であって、栗山氏は日々十余人の 染工を使用して居るに比し、一方は極めて著実に小規模な経営方法を取って居る。
 
 今、一反の紫根染を造り上げるに、如何なる手数と日数を要するか、栗山主人の語る所に依れば、 生木綿を「ニシコーリ」灰の汁に漬け、天日に晒すこと二十一回、之を下た漬と云ひ、それを 天井に掛けて置くこと一年以上、久しければ久しい程着色が佳いと云ふ、一年位を普通として居る、 夫れを絞ったものを紫根を搗いた汁で染めること少くも八回、出来上り迄には大抵一年半も要し、 絹類はどうしても二三年を費すと云ふ、其手数を要する実に驚くの外は無いのである。
 
 現在、一ケ年の産額五千反、木綿以外羽二重、縮緬、紬等にも染めて居る、袱紗、半襟、 風呂敷、帯皮に用ゐ、夜具、布団、座布団に用ひて、殊に結構である。
 色彩の古雅であり、高尚にして、原始的趣のあることは他に比類なく、古来、此紫は殺菌力 を有し、肺病其他の伝染病の予防に特効があると云ひ伝へられて居る、尚、決して湿気を 呼ばぬこと、保温の妙あること、等も他に類の無いことでなければならぬ。
 
 大正六年東北名産品評会を三越呉服店楼上に開催せられた時、出品して以来、同店と取引を 開始して今日に至り、紫根染の名広く宣伝せられ、今年は新に白木屋・高島屋両呉服店より、 栗山氏に注文があったと云ふ、
 古代紫絞りの模様は、「小枡、大枡、立枠」の三種より無かったけれど、近年技術者を招聘して、 絞りの講習等をなし、各種の方法の伝習を受け、之を応用して好評を博して居る。
 
 鹿角紫の歌
 古ゆ、上津野乙女が、誠をば、こめて染めけん茜むらさき、
 今も尚京雅アデ人の恋語る、昔ながらの鹿角むらさき、
 紫は姉に茜は妹に、なぞらへし代を今日にして恋へ、
 忍ぶれど色にいでけん紫は、狭布の乙女が恋の源、
 憂ざれば紫染の浴衣着る、鹿角男の伊達姿かな、
 紫も茜もともに美しゝ、鹿角乙女の恋ひさながらに、
 
日本画の四季・染色織物

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