鹿角の近代人物伝2 |
昭和のはじめ、プロペラ機で大空を駆ける夢を実現した女流飛行家たちが輩出した。 馬淵テフ子(小豆沢安倍家の孫)もその一人である。 テフ子は体育学校を出て、円盤投げでオリンピック出場をめざしたが選に洩れ、失意 の時に級友長山きよ子に誘われて飛行機に同乗、大空の魅力にとりつかれ、開校したて の亜細亜航空学校に入学。女性で13人目の二等飛行機操縦士となった。 4ケ月後の昭和9年8月、応援してくれた祖母のいる鹿角・菩提野への郷土訪問飛行を果 たし、さらに満州(現中国東北部)へ10日間かけての単独飛行に成功した。 短い飛行機人生だったが、その偉業は今も語り継がれている。 |
<略歴> 明治44年 6月5日馬淵常義・ナヨ(小豆沢出身)の長女として生まれる。 大正8年 鹿角郡宮川村立宮麓小学校2年に転入。5年生まで通学。 昭和6年 日本女子体育専門学校(現日本女子体育大)卒。女学校の体育教師となる。 同8年 亜細亜航空学校入学。同9年3月二等飛行機操縦士技倆証明書を交付される。 同9年 8月14日「サルムソン2A2」で郷土訪問飛行(菩提野へ着陸)。10月26日「黄蝶号 」で単独訪満飛行に出発。11月5日新京(現長春)到着。 同12年 日中戦争始まり、ドイツへの飛行計画断念。体育教師に戻る。 同60年 5月23日静岡県伊東市で死去、享年74歳。 出典:鹿角市先人顕彰館
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