「桑の實」 |
〔学友の母君の疎開に際して〕 越路ゆく母を想えばむらぎもの 心もあだに過さふべしや 真夏日の越路旅せし母君の 今より冬はしのばるるらし 散り逝きし児らの血潮を想へかも 西茜して暮るるかなしさ 遙けくも訪ね来りて奥津城の 老師の前に頭垂りける しとどなる草露ふみて往く道の すがしきかもよ朝明の道 天地のみいのちおもふしみらなり 宵待草は咲きにけるかも はろばろとふるさとの夏をもひけり 藤づらの房の色づくをみつ さねさし相模の小野に咲く花の 愛しきみれば古へおもほゆ まつろはぬ夷輩の燒く野火の 名残りか今も火は燃えにけり 南ゆ汀寄る浪の砕けては 白きがかなし片瀬江ノ島 小夜更けて厠に立てば浪の音に まじりてすだく松虫の声 浪かしら赤く染まりてするがのや 富士が嶺あたり陽は沈みゆく まさをなる大海の果をゆくごとし まなこつむりて母を想へる 北海の荒磯に立てば今も尚 どよめき寄する益良夫の声 浪の音雨の如くに響く夜や 蒼き疲れに兵らねむれず 天地の心を汲めとや月読みの 光り淡かに今宵照ります さねさし相模の小野は鳴く虫の 夜毎に侘し秋立つらむか さねさし相模の小野にコロコロと 何の虫ぞも声立てて鳴く ふるさとの母想へとや夜寒く コロコロ虫の鳴き止まずけり |