65 節綿セツメン
参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
昔、ありました。
正月の木綿モメンのことを節セツの木綿と言いましたけれども、俺オレ達なら「節綿セツメン」
と言ったものでした。
ある親方の家の旦那さんが、借子カリコの太郎に、
「太郎、花輪へ行って節綿を買って来い」
と言い付けられました。太郎はまた、
「何の事ですか。おや仕方が無いな」
と言って、
「せつめん、せつめん、せつめん」
と言って歩いていたら、堰セキこをぶんと跳ねた拍子に、
「おにめん、おにめん、おにめん」
と言うようになっていました。そして花輪へ行って、うらうらと町の中を歩いて、
「おにめんを呉クれて下さい」」
「おにめんと云うものは、俺の家でなら売っていないのです。浅利アサリさんへでも行って
聞いて見て下さい」
浅利さんでは、
「俺の家でなら置いていないのです。向かいの椀ワンこ屋へでも行って見て下さい」
今度は向かいの椀こ屋へ行ったら、
「おにめんですな、鬼の面このことでしょう」
と鬼の面こを売って寄越ヨコしました。
太郎は、鬼の面を持って、今度はどんどんどんと走って帰るうちに、暗くなってしま
いました。丁度其処ソコにお堂こがあったのです。
「此処で一休みをするかな。そうだけれども寒い。少し炉ロへ火でも焚タこう」
と辺アタりを見たけれども、何も焚くものが無いために、太郎は今度は、お堂の前の杉の
木に登って、杉の葉っぱを採って来て、炉へ焼クべましたけれども、何せ杉の葉だから、
煙ケプたくて、煙たくて何もかもならなかったけれども、まんずその中で当たっていまし
た。
其処へ正月の木綿をのっこり(沢山)背負った木綿屋モメンヤは、
「あやあや寒い、寒い。誰だか知らないけれども、当たらせて呉れないだろうか」
「当たれ、当たれ、俺は今杉葉スギッパを焚いている」
木綿屋は、炉端に来て当たりました。そうだけれども、何もかも煙たくて、煙たくて、
太郎の方へ煙が来れば、太郎はまた下を向いて我慢ガマンをするし、木綿屋の方へ煙が行
けば、木綿屋はまた横を向いて、窓の外の雪の原っぱを見ていました。そうしていたら、
太郎は何もかも切なくて、煙は別の方へ回った隙スキに、買って来た鬼の面こを被りまし
た。木綿屋は今度は太郎の方を見たら、鬼が居ました。木綿屋は動転ドデンして、
「鬼だ、鬼だ、おっかないなぁ」
とぶっ走り出しました。太郎は鬼の面を被ったまんま、
「お前、この木綿を何とするのだ」
「何も要らない、要らない。鬼だ、鬼だ。助けて呉れろ」
とぶっ走って行ってしまいました。太郎はまた考えて、
「要らないと言って、ぶっ走って行ってしまったなのに、此処ココへ置いても何も無いも
の(無駄なこと)。俺は背負って行こう」
と言って、うんしょ、うんしょと村へ戻って行きました。
親方の家では、
「太郎はどうしたろう。戻って来ないな」
と心配しているところへ、うんしょ、うんしょと木綿を背負って戻って来ました。そし
たら、何もかも、
「これを見ろ、あれを見ろ」
と村の者達は集まって来て、太郎の背負って来た木綿を見て、たまげて(びっくりして
)しまいました。
親方の家では大した喜んで、皆にその木綿を呉れて面白い正月をしました。
どっとはらえ。
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