57 柳の精セイ(八幡平)
参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
昔、あったのです。
ある村に、正直で働き者の男が居ていました。
この男は、妻アッパに死なれ貧乏して、その上男の子二人もあったために、誰も後添え
ノチゾエの嫁っこに来て呉クれる人は無かったそうです。
その妻は何して死んだかと云うと、三人目の子を生ナす時、子供が生まれないうちに、
早く機ハタを織ってしまわねばと思って、夜昼死にぎりで、糸をおんだり(撚ヨったり)、
機を織ったりしたために、おたって(疲れて)しまって、子供が僅ワズか早く生まれてし
まったそうです。
その時は詰ツメの月(十二月)で、正月も近くなって来るし、早く布を仕上げて売って、
正月の支度もしなければならないと思って、また産後サンゴの日も経たないのに、灰水
アクミズを立てて布を煮て、手杵テキネを以てそれを搗ツいたりしました。
そうしたら、あまり早く稼いだせいか、灰水が中アタったので、風邪を引いて大熱を出
して、とうとう、妻と生まれたばかりの赤子も死んでしまいまったそうです。
泣いていたって、叫んだって死んだものは生き返る訳でもないので、残された男は、
二人の男童子ワラシ達に宿ヤド(留守番)させて、毎日兄川アニガワ(岩手県二戸郡安代町)の
奥山へ、山子ヤマゴ(木こり)に歩いて行っていました。
湯瀬ユゼを過ぎて、兄川へ行く道端の川原に、大きな雲へ突くような柳の木がありまし
た。あまり見事に伸びる柳なために男は、毎日其処ソコを過ぎる度タビに、
「ああ、綺麗キレイな柳だ、見事な柳だ」
と、その柳の木を撫ナでて歩いていたのでした。
そうこうして、盆過ぎのある晩バンゲ、さあもう寝ようかなと思っていた時、トント
ン、トントンと表の戸を叩タタく者がありました。男は、
「今頃誰だろうかな」
と言いながら、戸を開けて見たら、若くて綺麗な女オナゴが立っていたのでした。
「道に迷ってしまったし、暗くなったし、何とか今夜一晩げ泊めて給えタモレ」
て言いました。男は、
「泊めるのは良いけれども、この通りのあばら家で、碌ロクな夜着ヨギも無いし、食い物も
無いけれども・・・・・・」
と言ったら、
「何にも無くても、泊めて貰モラったばかりで、有り難いものなのです」
と言って、その晩げ泊めて貰いました。次の朝間、男が起きて見たら、夕べ泊まった女
は、こっぱやしなく(早々に)起きて、飯ママ炊くやら掃除するやら、死にぎり稼いでい
ました。
「俺オレのような者でも良かったら、何とか、後添えの妻にして給えタモレ」
と言いました。男も、丁度後添えの妻を尋ねていたところなので、稼ぎ手で女こ振りも
良いし、気だても良いようだと思って、
「見るとおりの、このような男だけれども、お前さんがそれでも良かったら、俺の嫁っ
こになって呉れろ」
と、妻になって貰いました。
この妻はよく稼ぐし、二人の童子を生ナした母親アッパにも劣らない程、童子をめんこ(
可愛い)がって育てるし、男も家のことを何も心配なく毎日山子へ行って、のっちのっ
ちと稼ぐに良かったそうです。
そして、親子四人は幸せに何ごともなく暮らしているうちに、十年ばかりも経って、
五つと三つであった子供達も大きくなって、良い若者になり、夫婦も大した喜んで居ま
した。
こうしたある日、急に妻アッパが病ヤマイになりました。男も二人の子供達も心配して薬を
飲ませたけれども、一向に良くならないで、一日ぎりに弱って行くばかりでした。そう
したある日、やつれ果てた妻は、枕元に男を呼んで、
「俺は、今まで隠していたけれども、本当は兄川の川原の柳の精です。誰にも声を掛け
て貰ったことも、撫でて貰ったことも無かったのに、お前さんから初めて声を掛けて貰
い、撫でて貰って本当に有り難かったのでした。それで、恩返しにお前さんの妻になっ
て、今まで世話になり、仲良く暮らして来たけれども、この度殿様の下知ゲチ(命令)
で、あの柳が伐られることになり、四、五日前から木挽きコビキが係って伐り始めている
のです。それで、俺は病になったので、幾ら薬を飲んでも、看病して貰っても、俺の命
は後アト少しで終わるのです。そして伐られた柳は八戸の浜へ運クバられて、舟になるので
す。
今までお前さんの恩に報いるために、柳を運るとき、何十人何百人係って引っ張って
も、びくっとも動かないので、そのときお前さんが二人の子供七之助と弥三郎に引かせ
て見て給えタモレ」
と言って、息を引き取ってしまいました。
さあ、木挽き達が伐り倒した柳の大木は、八戸へ運るために、其処ソコいら中の村の男
達何十人も集められました。幾ら引っ張っても、びくっとも動きませんでした。また別
の村からも何百人の男達が来て引っ張っても、びくっとも動きませんでした。
役人達は困り果てて居た処へ、男は七之助と弥三郎の二人の子供を連れて来て、
「どうか、俺に引かせて見て下さい」
と頼みました。
役人達は、どうせ引けないだろうと思ったけれども、動かせなくて困っていた時なの
で、
「それでは、やって見ろ」
と言いました。男は二人の子供に引綱ヒキアツナを持たせ、自分は柳の木の上に跨マタガって、
心の中に神を念じて掛け声も勇ましく、
「それーっ、七之助、それっ、弥三郎」
と叫びました。そうしたならば、柳の大木は、じしーっと、動きました。
それ、動いたのでしたので、男は、
「それっ、七シチ、それっ、弥ヤさ、それっ、七、それっ、弥さ」
と掛け声を掛けました。するする、するすると、訳も無く運ばれて行きました。
殿様はこの事を聞いて、親子に褒美ホウビをどっさり呉れました。
今でも重たい物を持ったり、運ったりするとき、
「しっち、やっさ」
と掛け声をするのは、そのときから始まったそうです、
どっとはらえ。
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