40 屁垂れ嫁っこの話
 
                 参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角のむかしっこ」
 
 昔、昔、年寄った母親と、たった二人で暮らした居た、若者がありました。
 この若者は、仙北(仙北郡)の方から、色白のめんこい嫁っこを貰モラいました。若者
は朝、飯メシを食えば山子ヤマゴに出掛けて、晩バンゲ遅くならなければ、家に戻らないため
に、年寄った姑シュウトと嫁っこと、宿人ヤドト(留守番)をしているのでした。
 一日経タちまた二日経つうちに、嫁っこの面ツラが段々に青くなって来ました。
 姑が見るに見兼ねて、
「嫁っこ殿ドナ、嫁っこ殿、お前はどうしてそのように青くなって来たのですか。腹こで
も痛いのだか。頭っこでも痛いのだか。訳を話して見てみたら」
と言ったら、嫁っこは、面こを赤くして、
「何、何でもないのです」
と言いました。
 
「んにゃ、んにゃ、お前と俺オレとたった二人こだもの、何も票(人扁+票)ヒョウしがる(
恥ハズかしがる)事はないので、話して見てみたら」
と言ったら、嫁っこは益々赤くなって、
「はい、それなら言うけれども、笑わないで給えタモレ。本当は俺は、童子ワラシであった頃
から屁垂れヘタレで、家に居たとき、毎日大きな屁垂れで居たのだけれども、嫁っこに来て
から、それもされないと我慢していたら、青くなったようなのです」
と言いました。そうしたら、姑は、
「それは無情ムジョい(可哀想な)ことだ。昼間は、お前と俺ばかりで誰も居ないことな
ので、気兼ねなく垂れろ」
と言ったら、嫁っこは、
「そうだけれども、俺の屁はあまり強くて、お前さんが飛ばされなければならないので
す」
と言いました。
 
 「なになに、俺は火づき(囲炉裏の縁)に掴ツカまっているのですから、腹いっぱい垂
れろ」
と言ったら、
「そしたらお前さんは飛ばされないように、びんと(しっかり)保タモつ支カって(掴まっ
て)居て給えタモレ」
と言いましたら、天地が揺ユったように、ビーーッと垂れました。姑は飛ばされない気に
なって、死ぬ気になって、火づきに保つ支っていたそうだけれども、火づきもろとも飛
ばされて、庭の土間ドマへガッタリ落ちて、腰を打って動けなくなりました。
 嫁っこは動転ドデンしてして、腰をさするやら、水を汲んで来るやら、おろおろしてい
るうちに、晩方になって山から若者が戻って来て、
「何をしていたのですか、どうしたのですか」
と聞きました。嫁っこは泣きながら、その訳を言ったら、
「如何イカなものか(お前も、まあ)、幾ら垂れても良いと言ったからと言っても、その
位強い屁垂れる馬鹿があるのだか」
と、嫁っこの尻ケッツをドンと叩タタいたらビーッ、また、ドンと叩いたら、ビ、ビーッと屁
を垂れました。若者も呆アキれてしまって、
「お前みたいな奴は、この家に置けないので、出て行ってしまえ」
と、追い出されてしまいました。
 
 嫁っこは仕方なしに、行く宛ても無く歩いて来たら、隣り村の大きな梨ナシの木のある
家の前に、差し掛かりました。見ると、木の下に二、三人居て、何か騒いでいました。
訳を聞くと、
「梨がいっぱい成っているけれども、木が高くて棹サオが届かないし、ほろかれない(落
とせない)で困っているのだ」
と言いました。屁垂れ嫁っこは、
「俺がほろって呉クれるので、木の下に藁ワラを敷いて給えタモレ」
と言って、木の下に藁を沢山敷かせて、尻ケッツをグルッと捲マクって、ビーッと垂れたら、
ボダッと落ちました。また、ビーッと垂れたら、ボダボダッと落ちて来ました。ビッビ
ガビーッのボダボダ、ボダッと、みんな落ちて、其処ソコの家の人達は大喜びしました。
 
 其処へ旅廻りの太鼓打ちが通り掛かって、これを見ていて、屁垂れ嫁っこから訳を聞
いて、
「それなら、俺と一緒になって、旅廻りをしよう」
と言って、二人は夫婦になって、旅廻りの芸人になりました。親父は、タンゴンタチマ
チスットコトンと太鼓を叩けば、嫁っこは、ビッビガビーのブッブガブーと屁を垂れて、
旅から旅と廻って歩いたそうです。それで、嫁っこは青くもならないで暮らすことが出
来ました。
 どっとはらえ。
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