135 声良鶏の話
 
                       参考:鹿角市発行「十和田の民俗」
 
 声良鶏は、花輪曲沢が原産地と云われている。明治維新の秋田戦のとき、沢尻・土深
井・十二所が戦場で、南部藩が敗けて十文字まで追われ、勝負谷地で戦ったが、戦い敗
れた南部藩の兵士は仮眠をした。
 
 早朝、風の流れに乗って何やら太い掛け声のようなものが聞こえてきた。秋田藩の兵
士達は、南部藩が攻めてきたと思い、慌てて、一時退いたと云われる。その時の掛け声
のようなものは、声良鶏の鳴き声であったと云う。それ以来、声良鶏は有名になった。
 第二次世界大戦中は、声良鶏を飼育することは、贅沢なこととされ、愛好家は隠れる
ように育てていた。
 声良鶏は、昔はもっと体型も大きく、一貫四百匁位あり、鳴き声ももっと大きかった
と云う。(松山)
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