110 飴を買う女(花輪)
 
                    参考:鹿角市発行「花輪・尾去沢の民俗」
 
 昔、ある峠の茶屋に、親切な老夫婦が仲よく暮らしておりました。ある日のこと、
「今日も日が沈んだら、そろそろ店をしめましょう」
と言いながら、一日の感謝の祈りをしていた時に突然、
「ごめん下さい。飴を一本ください」
と、色の白いやせた若い女の人が入ってきました。
『今ごろ、どこの人だんべ、それとも旅の人のだかな』
と思いながらも、持ってきた一文銭一枚で、心よく売ってやりました。
 
 ところが翌日も、その翌日も夕方になると、同じ時刻に必ずやって来るので、とうと
うおばあさんは、
「あねさん、あねさん、どこからおでたしか(お出でになりましたか)」
と訊いたら、ただ、
「あちらの方です」
と小声で指さすばかり、そして一日ごとにやせて元気がなさそうだし、妙にお金が冷た
いので、
『不思議だなあ』
と老夫婦は顔を見合わせて、首をかしげておりました。
 
 丁度六日目の夕方になった時です。その女の人は、
「今まで、ご親切にしていただいてありがとうございます。けれど、あと買うお金が今
日で無くなりましたのでお別れです」
と悲しそうに涙をためているので、残っている飴も全部おまけしてやりました。そうし
たら、何度も何度も振り向いて、お礼をして帰りました。けれど何だかとても心配だっ
たので、そっと二人で後をつけて行ったら、大きな松のところでスーッと消えました。
そばによってよく見たら、木の根元には新しいお墓らしく、土が盛ってあり、そばで可
愛い赤ん坊が飴をしゃぶりながら、ニコニコして寝かされておりました。
 
 おじいさんとおばあさんは、
「この子を育てたい一心から、自分が亡くなってからも、魂が姿になって飴買いに来た
のか……。なるほど、おのお金は死出の旅にと棺に入れてもらった六文銭だったのか
……」
といいながら、その子を抱き上げて、お墓をていねいに拝み、自分たちで育てることに
しました。そしてその後も、無くなった女の人の供養を手あつくしてあげたそうです。
以来この女の人は、姿をあらわさなかったということです。また拾い上げられた子は、
神仏からさずかった大事な孫として育てたので、やがて輝くような美しい娘に成長し、
峠の茶屋に立ち寄るお客さんも多くなり、三人はとても幸福に暮らしたということです。
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