108 メメコ(ねこやなぎ)のうた(花輪)
参考:鹿角市発行「花輪・尾去沢の民俗」
昔、あるところに大変に気のきく賢い女の子がおりました。名前を仮に、ミヨ子とで
もしておきましょうか。家族が多かったので、母親の手がまわらず、主に祖母に育てら
れ、寝るときも起きてるときも一緒、また信心深い祖母でしたから、よく神社や寺参り
に出かけるのですが、いつも腰巾着のように手をつないで歩いていました。そのため、
物心がつくようになった頃からは、仏さまにご飯や、お水お花を上げることもすっかり
覚えて、手伝い出来るようになりました。
この女の子が丁度五才になった春の初めの頃でした。母親が夜なべの仕事をしていた
ら、パタパタと足音がするので、
『誰だろう』
と思って見たら、女の子が柱の周りをまわりながら見えかくれするので、
『おや、ミヨ子かな』
と独り言をいいながら立って行って見たら、ミヨ子は祖母につかまりながら、スヤスヤ
眠っているし、もちろん柱の周りで遊んでいた女の子はどこにも居ませんでした。
『不思議なこともあるものだ。でもキット見間違えだろう』
と思いながらも気になっていました。けれど、日々のいそがしさに追われて、そのこと
を忘れていた頃、悲しい不幸なことが起きました。その女の子が水死してしまったので
す。それは裏の小川の岸のねこやなぎの枝を折ろうとしたところ、氷が割れて川に落ち
たのかと思いますが、ねこやなぎの花がふところにあったとか……。
母親は、
「あの柱のかげに隠れた女の子は、ミヨ子の魂がぬけて、何かのオセゴト(教え事)を
したかったのだろうに、気をつけせばよかった。かわいそうなことをした」
と言って、狂ったように泣き悲しみました。祖母はこうした母をなぐさめるように、
「あの子はメメコのうたにさそわれて、仏さまに上げようと、手をのばして川に流され
たと思うが、いい子だったから、キット仏さまが生まれかわらせて下さるよ」
といいながらも、涙いっぱいで神仏にお祈りしていたということです。
その後、この家の人々はどうなったか分かりませんが、何年か後に女の子が生まれた
と風の便りに聞きましたので、きっと亡くなった子の生まれかわりとして、大事に育て
られたことと思います。
春になると、いつも祖母に、
「メメコ(ねこやなぎ)の芽が出る頃になると、川の水音が高くなって歌でも歌ってい
るように聞こえる。あれはきっとメメコの歌かも知れないよ。それにさそわれて行くと、
川にさらわれるから、決して川岸へ枝を折りに行ってはいけないよ」
と言って、たしなめられたものでした。
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