106 命を拾ってもらった子どもたち(花輪)
参考:鹿角市発行「花輪・尾去沢の民俗」
昔、ある町に年は若いが大変うでが良く、親切なお医者さんがおりました。そのうえ
町の中だけでなく、村々へも朝早くても夜の夜中でも、病人が出たというと駆け付けて
みて下さるので、みんなに慕われておりました。
ところがある年のことです。毎年のように続く悪い天候のせいか、けがじ(凶作)で
稲が実らず、商人も、力仕事をする職人、農家の人々もみんな食べ物に苦しみ、山へ出
かけては草の根をほったり、木の実を拾ったりして、その日その日むをしのいでいたと
いうことです。そてあっちこっちで、おまんまを食えないで餓死する者が出たことや、
捨て子などのうわさが聞こえるようになったそうです。そればかりではなく、
『山へわらびとりにやったんし……』
『川へ雑魚ジャッコとりに行ったんし……』
というのは、間引きという悲しくも恐ろしい合言葉と知ったこのお医者さんは、居ても
立っても居られなくなったのでしょうか。朝そっと家をぬけ出しては近くの川を見て歩
くのを日課にしていたんだそうです。はじめのうちは何事もなかったので、ほっとして
いたのですが……。
大雨続きで洪水が心配されたある朝、一人の若い職人らしい男が、生まれて何日もた
っていないような赤ん坊をだいてウロウロしているのに会ったとのこと、咄嗟にこのお
医者の日頃のやさしさはどこへやら、
「コラッ!!家に帰れ」
と、仁王さまのような顔をしてどなりつけましたが、やがておちついてその児を見つめ、
あやすように、
「オウ、オウ、いい顔してるじゃないか。この子はきっと立派な人物になるぞ、大事に
育てるんだ」
と言い聞かせたら、若者は男泣きに肩をふるわせながら帰ったそうです……。
この子は生まれ落ちるとすぐに母と分かれるという不幸や、貧乏の中にありながらも、
すなおにかしこく、丈夫にすくすくと成長しました。やがて仏門に入り、修行に修行を
かさね、おのお医者さんの言ったとおりに、本山の位の高いお坊さんになったそうです。
そして命の尊さや、みんなで仲よくなどの道を説き、多くの人々から尊敬される人物に
なったということです。
このお医者さんはその後も、多くの病人を助けたことは言うまでもありませんが、捨
てられようとした小さな命を何人も拾って下さったとのことです。きっとこの子どもた
ちは、やがてみんな大きくなり、持って生まれたそれぞれの尊い華を咲かせたことだと
思います。
『たった一つの命だもの、大事にしましょう』
何よりもこの川にはその後、昔のような悲しい出来事が無くなったのはありがたい事
です。そして今では川のほとりの土手に、木や花を植えて、みんなで大切にしていると
いうことです。
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