104 下タ町の人形屋さん(花輪)
 
                    参考:鹿角市発行「花輪・尾去沢の民俗」
 
 昔、福士川の橋を渡って下タ町に入りすぐのところに、土人形をつくって売っている
老夫婦が仲よく暮らしておりました。その人形は粘土で形をつくり、色づけをして焼く
というもので、今でいうと秋田市の八幡人形のようですが、それとも少し異なり非常に
手のこんでいるところを見ると、九州の博多人形か、京都の人形をも思わせるような優
雅さがあるのでした。
 それで地元だけではなく、遠いところからの注文も多く、お武家さん、町人をとわず
『下タ町の人形屋』と言って大変珍重され繁盛していたということです。
 
 ところが、
『一方に良いことがあると、他方で困ったことがあるものだ』
というたとえのように、この人形屋さんの一人息子は家業を継ぐ気の無いばかりではな
く、老父母からお金をまきあげては、どこへ行くのか何日も家に帰らず、お金が無くな
ると又せびるに来る、というくり返しで、
「何か悪いことでもしていなければ……」
と、いつもこころをなやましていました。

 
 ところが、ある日の夜こと、原因不明の火事でこの人形屋は一物も出さず、丸焼けに
なってしまいました。そして不思議なことに、焼け跡に死骸が見つからなかったばかり
でなく、あれ程あった土人形も無かったということです。
「不思議なこともあるもんだなあ」
とみんなで言っていた時、
「私はぢいさんばあさんが、沢山の土人形に手を引かれて炎の中から出て行くのを見た
よ」
という声がしたので、みんなその方をふり向いたけれど、それは声だけで誰だか分かり
ませんでした。いったい人形屋さんは、人形と一緒にどこへ行ったのでしょうか。ドッ
トハライ。
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