6104堀内ホリナイ「熊野権現クマノゴンゲン伝説」(大湯)
参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
神亀ジンキと云う昔の頃の話です(今から千二百年以上も前)。
堀内の近くに桑クワの木を沢山植えて、毎年毎年三石ゴク三斗トの桑の実を、この地方の
宝物として奈良の都へ奉納し、山田の大夫タユウ長者と云う名前を貰った長者が居ました。
この長者を頼って、都であった事件で悪いことをしたと云われた役人が来て暮らして
いました。
その役人には沢山子供が居りました。その一人に松若麻呂マツワカマロと云う人が居ました。
松若麻呂はお父さん恋しさに、奈良の都から遥々ハルバル堀内まで、途中で人買いに遭っ
たりして苦労して漸く着いたのでした。
ところが都では、悪いことをしたと云われた役人が、何も悪いことをしていないこと
が分かって、天皇から都に帰っても良いと云う知らせが来ました。
そこで、役人は未だ若い松若麻呂に、もう一度旅をさせて苦労を掛けたくないと思っ
て、小池コイケの衛門エモンと云う人に頼んで、三年も経たないうちに迎えに来るから頼むと
言って、都へ帰って行きました。ところが、その役人は都へ届かないうちに病気になっ
て死んでしまいました。
一方の小池の衛門は、堀内の掃門カモンの屋敷で松若麻呂と、都から迎えが早く来ればい
いと毎日待って暮らしていました。
三年過ぎても迎えに来ないので、待ちくたびれた松若麻呂は遂に都を目指して旅に出
てしまいました。
それで、小池の衛門は都からは迎えの人は来ないし、松若麻呂は何処ドコへ行ったか分
からないし、大変心配しました。
そして、とうとう掃門の屋敷で病気になってしまいました。
その頃衛門の妻は、主人があまり帰るのが遅いので心配して、都から堀内の掃門の屋
敷へ迎えに来ました。そして主人の衛門は重い病気なためにびっくりして、一生懸命に
なって看病しました。でも、衛門の病気は、益々重くなるばかりで、水も飲めなくなり
死んでしまいました。そしたら、その夜のうちに衛門の死体を妖怪バケモノが来てさらって
行ってしまいました。
それで、主人が死んだために、衛門の妻は、もう生きていても望みがないと夫オットの後
を慕って死のうと覚悟を決めて、川の淵に身を投げて死んでしまいました。
また、父の衛門や、母の行方が分からず、遥々都から尋ねて来た娘の綾姫アヤヒメも、父
は病気で死に、母は川に身を投げて死んだことを聞いて、自分も両親の後を追って、池
に身を沈めて死んでしまいました。これを池の御前ゴゼンと云って、弁才天ベンザイテン女尊
ニョソンとして白山に祀りました。
付言
熊野権現社は堀内の南方にある小高い岩山で、その頂上部に昭和五年に「熊野権現松
若麻呂」の石碑が立てられています。村の人々は一年に一回講中コウチュウで拝んでいます。
雄滝オダキは、小衣オボロの滝とも云われて、滝神さまを祀って拝んでいます。雨が少な
い年は此処ココで雨乞アマゴいの行事もやっていました。
女滝メダキは、十年ばかり前までは滝であったが、今(平成四年頃)は営林署エイリンショの
林道工事で崩されて滝は無くなってしまいました。
池の尾の神は綾姫を祀った処で、白山シラヤマ神社があり、堀内の産土神ウブスナガミとして
拝まれています。
ご神体として木で作った舟が沢山ありますが、子孫を授ける神さまとして特に拝まれ
ているのです。
この伝説は、岩手県浄法寺ジョウボウジに伝わる「桂泉カツライズミ観音カンノン御本地ゴホンチ」を
原本に、堀内に伝えられている話だと云われています。
関連リンク 「神社の碑文(白山神社)」
[次へ進む] [バック]