6004草木の里・落人の村
 
                参考:鹿角市史編さん委員会発行「ふるさと散歩」
 
 数々の伝説に彩られた鹿角の国の、そのまほろばと云うべきは草木クサギの里です。壮
大なスケールの三湖サンコ物語の主人公八郎太郎、悲恋に斃タオれた錦木塚の主人公の若者、
老犬ロウケン物語の主マタギ佐多六など、皆草木の生まれとされていることは、九崎クサキとも
草城クサキとも云われたこの村の、並々ならぬ古さを物語っていると思われます。
 元村社の草城神社(稲荷さま)の由緒に「皇極天皇ノ御代ニハ已ニ草城村アリ其邑長
ムラオサハ若宮八幡ト云ヒ広河原ノ側ニ城ヲ構カマエテ時ノ村治ヲ計リ」云々とあります。
 
 八郎太郎の先祖は、独鈷トッコ(北秋田郡比内町)大日堂の別当ベットウで、小豆沢大日堂
を建てた後、草木に移り住んだと云われるところから、中世の頃、この村は真言宗の中
心地の一つであったかも知れません。或いは八郎のハチには鉱山師、山師と云う意味が
あるので、この村の山奥に幾つも残っている古い廃坑の跡との関わりも考えられます。
字保田ボッタの八郎太郎の生家と伝えられる家の前に最近、石碑が立てられました。
 錦木塚伝説では、細布を織ると云う新しい文化を持った町の娘に接触する、山裾ヤマスソ
の村々の代表として草木の若者が選ばれたと云う感じを深くします。老犬シロの哀話は、
マタギを生業とした山の民の悲劇的終焉シュウエンを象徴しているしているようです。
 
 諸助山モロスケヤマの麓に起伏する、古い段丘の草深さに埋もれた村は、戦国の権謀ケンボウに
敗れた喪神ソウシンの落人オチウド達に、静かな安息をもたらす格好の隠れ里でもありました。
 丸館マルダテは、天正十九年の九戸クノヘ戦役に、豊臣勢の包囲の中から辛うじて落ちて来
た人の子孫で、岩手県二戸郡の旧大森村がその故地とされています。
 幸右エ門新田は、甲斐カイ武田家の落人小右衛門が草分けと云われます。小右衛門は弓
と槍ヤリの名人で、当時木や草が丈高く生い茂り、山犬が恐ろしげに跳梁チョウリョウする荒野
であった此処ココに住み着き、狩猟をしながら開墾を奨めたと語り継がれてきました。
 二本柳には、関ヶ原の戦に敗死した長束ナガツカ正家の子、庄六正直が一時隠れ住んだ
と伝えられます。長束正家は江州水口ミナクチ六万石の城主、財政家として聞こえた豊臣五
奉行の一人でした。その六男正直は家来安保佐太六の手引きによってこの地に落ち、姓
を奈良氏と改め土着、後ノチ曾孫庄八正良が花輪村に移って商業を営み、南部領屈指の豪
商佐庄サショウとして発展しました。
 
 この村の南に、広大な菩提野ボダイノ扇状地が広がり、幸右エ門新田、八兵衛新田など
の地名は、その開拓の歴史を物語っています。今も同じ努力が続けられていますが、扇
頂部の砂派スナパには、かつて十二個の竪穴タテアナ住居群があったとされています。

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