5805白い神馬シンメ(花輪)
参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
今(平成四年頃)から七百年も前に、花輪の町から三粁ばかり離れた皮投岳カワナゲダケ
の麓フモトに祀られていた花輪の産土ウブスナさんは、正一位幸サキワイ稲荷神社と云いますが、
大した有り難い効き目のある神さまです。
花輪の人達ばかりでなく、南鹿角一帯、二戸ニノヘ(岩手県)の方の人達まで信心シンジン
していて、昔から産土さんにお詣りして「おこもり(夜、神社に泊まって祈ること)」
する人もいっぱいいましたし、今でもそうですが、お祭りもとっても賑やかなことで有
名であったのです。
そして、産土さんもね、氏子(信者)のことを大変案じて下さっていました。
いろいろ有り難いお告げをして、氏子達を助けて下さって来たのです。
産土さんの神社の境内ケイダイの北側にね、駒形コマガタ堂があって、中に「お駒さん」と
云う白い神馬が祀られていますが、産土さんは、何か大変なことや、大事なことがある
度に、この白いお駒さんを使って町の人達に教えて下さったものです。
百年も前の日清ニッシン戦争のときも、戦争の始まる前の日の夜中に、花輪の町通りを真
白なお駒さんがカッカッカッと蹄ヒヅメの音も高らかに、馳ハせて行ったのを見た人が何人
も出たと云いますし、日露ニチロ戦争の始まるときも、そのようだと云いますし、明治三十
八年の上花輪の大火のときも、白いお駒さんが、前の晩バンゲにカッカッカッと馳せて、
大変なことが起こるのを教えてくれたのです。
そのほかにも、町に何か大変なことが起きるときには、必ず産土さんのお使いの白い
お駒さんが町通りを馳せて、町の人達に「気を付けろ」と気付かせて下さったものです。
町の人達もその度に「有り難い、有り難い」と産土さんを益々信心しました。
そして、お駒さんが町通りを馳せた次の朝間、駒形堂へ行って見ればね、お駒さんの
白い蹄に泥が付いていたり、濡れていたりするものでした。
関連リンク 「神社の碑文(幸稲荷神社)」
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