5802皮投岳カワナゲダケ物語(花輪)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 昔のことでした。
 その日は、山の天辺テッペンの空が、とっても澄んでいました。岩手の二戸ニノヘの家を出
て来てから、もう何日になっただろうか。二人のマタギ(猟師)は山の天辺に腰を掛け
て、家に残して来たお方カタ(妻)とか、童子ワラシのこととかを思案していました。
 第十代崇神天皇の頃、花輪の東の方にある県境ザカイの山の、ある日のことでした。二
人のマタギの側に、何枚もの熊の皮が投げられてありました。
 太い腕キャナを組んだマタギの二人の眼マナグに、生まれた二戸のことが、いっぱい浮かん
で来ました。
 「俺達オラタチ、家に行ったって何てこともないだろう」
 「そうだ、そうだ、熊を捕って暮らすしか、俺達の仕事はない」
 すっきり晴れた空のずっとあっちに、鹿角がいっぱい広がって見える日でした。
 二人共、黙ったまま、何時イツまでもこの景色を飽きないで眺めていました。
 お日さんもずっと前に西に傾いて、二人は今日も野宿の支度シタクをしました。お月さん
は二人の捕った熊の皮を明るく照らしていました。
 
 赤々と焚き火を焚タいて寝た二人の夢枕に立ったのは、二戸に居るお方(妻)と童子
ワラシの顔でした。そして、何とそれは、何日も何日も、家を空けて帰って来ない父親オド
への寂しさから、お方が化石になってしまう良くない夢でした。
 マタギはびっくりして、体が固まったようになって目が醒めました。
 「ああ、おかしな事があるもんだ」
 今まで一回もこんな事は無かったのです。家の事を案じながら寝たら、また化石にな
ったお方の声が聞こえました。
 「今までこんな夢を見た事も無いし、お方の事を考えたことも無い。おかしい(変な
)ことだ」
 二人して同じ夢を見て、何かがあるような気がしたそうです。
 
 「なあ、今までこの山へ何回登っても、このような見晴らしの良いことは無かったな
あ」
 「ぎんがぎんがと光って見えるあの川の周囲ギャクリを開拓して、田とか畑にしたら、ど
うだろう」
 二人は、気持ちを決めて郷里の二戸に帰って、お方も童子も連れて、鹿角へ戻って来
ました。マタギ達は、それぞれ支度して花輪の臥牛フクシに家を建てて、いよいよ開墾を始
めました。
 まず最先に手掛けたのは柴が生えて、とっても木立の良い処なために、其処ソコに「柴
平シバヒラ」と名前を付けて耕しました。また、鏡のような沼を埋め立てて、田にしたのが
鏡田カカミダだそうです。この鏡田から鹿角の田圃がずっと開けて行ったのです。
 
 このマタギの子孫は、代々開墾の仕事をして、花輪の今泉(今の横丁)にも居て、夏
は田畑、冬は動物の皮を捕って暮らしました。こうして、段々部落が出来て行って、鹿
角三百町と云われるまでになったのです。
 皮投岳の名の興りは、マタギ達が山に沢山の熊の皮を投げて行ったために、その名が
付いたのだと云います。
 
[地図上の位置(皮投岳)→]

[次へ進む]