5710追子坂(尾去沢)
参考:鹿角菅江真澄研究会発行「菅江真澄と鹿角」
(土深井から)十文字という山路を越えてゆくと、右手に尾去沢西道山の内にある獅
子沢、笹小屋などが見え、瓜畑というやや小高い山里を経て、追子オッコ坂という坂があり、
昔は逢子坂とも云った。
その訳は、早くから旅に出たまま帰らぬ父親の行方に尋ねて、幼い童子が諸国をさま
よい歩いていたが、ある夜亡き母が夢の中に現れ、
「狭布ノ郡に行けば、きっとお父さまに逢えるでしょう」
と告げてくれた。この孝子は心勇んで、嬉しさのあまり、まだ夜も明けないうちに狭布
ノ郡に着いて、この坂に通りかかった頃、ようやく夜が白んできた。
しばらく行くと、坂の中ほどに破れた衣を着て、疲労に痩せ衰えた旅人が、露にぬれ
たまま倒れ臥している。孝子は、
「どちらへ行かれる方ですか、とうしてこの路中に臥し給うているのですか、お国はど
ちらですか」
と懇ろに問うた。旅人は、
「国はしかじかの国にて、修行のために諸国を巡っていたところ、病いにおかされ、昨
日の暮れから歩行困難となり、食事もできずに露ばかりなめて臥していた。命だけはよ
うやくつないでいます」
と言う。
孝子は、この旅人の顔かたちをつくづく見て、
「さては私の探しているお父様よ」
とて、その手をとりおいおいと泣く。旅ごとは驚いて、
「どうしてわが子がこの遠い所まではるばると尋ね来てくれたか」
と、子の顔を見てとめどなく泣いた。こうしてこの孝子はなんなく父親と連れ立って、
懐かしの故郷へ帰ってと云う。
このことから、この坂の名を逢子坂と云うのである。
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