5601オナメ・モトメ(八幡平後生掛温泉)
 
                    参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
 
 昔、江戸時代の中頃、今の岩手県雫石シズクイシの方から、仙岩峠センガントウゲと云う処を越
えて、田沢湖の生保内オボナイと云う処まで荷物を配る、喜平キヘイと云う若い男の牛方ウシカタ
が居ました。
 ある時、喜平は沢山の荷物を積んだ牛ベコを五匹も追いながら、峠を下りて来ました。
もう僅ワズかで生保内に着く処で、五、六人の追剥オイハギにいきなり襲われました。追剥
達は喜平を半殺しにやっつけ、牛は皆殺して、荷物は皆盗んで何処ドコかへ逃げて行って
しまいました。
 気が遠くなって、道端に寝ていた喜平を見付けた旅人が、よく手当して上げたので、
何とか息を吹き返しました。
 
 喜平は、それから傷キズや痛い処に効く湯を探して歩き、噂の高い、今の後生掛ゴショウ
ガケの湯までやっとこ来て、小屋を掛けて湯治トウジして居ました。
 そこへある日、両親を亡くし、供養のため下北(青森県)の恐山オソレザンとか仏ケ浦ホトケ
ガウラとかの霊場レイジョウを巡って、拝んで歩いていた一人の巡礼姿の娘が、八幡平を目指
して歩いて来て、そこを通り掛かりました。その時、丁度全身が傷と痣アザだらけの喜平
が、露天の湯から上がって、体を横にしてゆったりとして居るところでした。この切な
さそうな男の様ザマを見たこの娘は、
「なんぼ痛いでしょうか。切ないでしょうか」
と、男のことを気の毒に思って、情けを掛けてやることにしました。
 娘は手早く薬を作ってやったり、付けたり、身の周りのことをよく世話して上げまし
た。そのお陰で喜平の傷も、一日一日と良くなって、元の元気な体に戻りました。
 やがて、二人は夫婦になって、喜平は夏には湯治客の荷物の牛方をしたり、冬が来れ
ばマタギをやったりして、仲良く幸せに暮らしていました。
 
 それから暫く経ったある日のこと、一人の女オナゴが喜平のことを探して来ました。
 喜平には、雫石村で牛方をしていた頃に貰ったお方オカタ(妻)がいました。そのお方
が、仕事に出掛けたまま戻って来ない夫オドの喜平のことを心配しながら、待っていまし
た。幾ら待っていても来ないので、夫のことを恋しくなって見付けに出掛けました。あ
っち、こっちで聞いて歩き回っているうちに、後生掛に居るらしいと云う噂を聞いたの
で、訪ねて来たのでした。
 ところが、其処に夫と仲睦まじく暮らしている若い娘が居ました。これを見たお方は
『夫の気持ちはすっかり娘の方へ移ってしまっている。悔しいけれども、夫の気持ちを
前に戻して一緒に暮らすことは難しい』と嘆き悲しみ、地獄谷と恐れられている、勢い
よく湯が噴き出している湯壷ユツボめがけて、飛び込み自殺してしまいました。
 
 それを見た娘も他人ヒトの夫を盗トった罪の深さにひどく苦しみ、悔悟カイゴの気持ちを何
ともしかねて、喜平のお方を追うようにして、その湯壷をめがけて飛び込んでしまいま
した。
 その時、突然ドーンと云う大きな音がして、二本の高い湯の噴泉フンセンが新しく出来ま
した。それから、この二つの噴泉がお互いに競うように、ゴー、ゴボッ、ゴボッと不気
味な音を発タてて、熱い蒸気や熱湯を噴き出し続けました。
 喜平も、自分の罪の深さと悲しい運命サダメを嘆き、二人の女オナゴ達を弔うために、大
きな石に女達の戒名を刻キザんで毎日拝み続けました。
 それからこの二つの大噴泉を「オナメ・モトメ」と言うようになりました。また、女
達の後生(死後に極楽ゴクラクの世界に生まれ変わって往けること)のために、その後の一
生を掛けて拝み続けた喜平の姿を見て、この辺りのことを後生掛と皆が言うようになり
ました。
 
付言
一、オナメとは妾メカケ、モトナとは本妻のことです。
二、後生掛温泉一帯は、日本一と云われる泥火山、大湯沼、地獄谷と云われる大噴湯フン
トウなど珍しい火山現象が見られ、国立公園八幡平の一つの拠点です。なお、昔からオン
ドル式湯治場として全国から湯治客が集まり、有名です。
 
[地図上の位置(後生掛温泉)→]

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