56 「八幡平」(国立公園)の名の由来
参考:鹿角市発行「陸中の国鹿角の伝説」
今(平成四年頃)から約千二百年前のこと、都から遠く離れていた東北地方には、都
の命令や言うことを聞かない豪族とか山賊が、方々にいました。その中でも大猛丸オオタケ
マルと云う山賊は勢力も強く、岩手山の山中に籠もっていて、時々里や村々に出て来て、
物を盗んだりなど荒らし廻っていました。
そこで、延暦エンリャク十六年(793)に、坂上田村麻呂サカノウエノタムラマロと云う征夷大将軍セイイ
タイショウグンが、朝廷の命令を受けて、多くの軍(東夷征討軍トウイセイトウグン)を率いて東北地
方まで来て、朝廷に逆ソムいた賊軍ゾクグンと方々で戦ってこれを敗ヤブっていました。
ある時、将軍が部下の霞カスミの源太ゲンタ忠義タダヨシ、忠春タダハルの二人に、岩手山中の山
賊の様子を探るように命令しました。そこでこの二人は、賊のいる処に入り込むために、
八幡平の密林を潜り抜けて、敵のいる処が遠くから見える山の上に出ました。この山の
ことを今、源太森ゲンタモリと呼ぶのもそこから来ているのです。
この二人の偵察隊の調査で、賊軍の居る処が分かった将軍は、すぐ総攻撃をかけたの
で、賊軍は敗れて、今の花輪辺りまで逃げて来ました。死んだ大猛丸に代わって、登鬼
盛トキモリが鹿角で陣容を整え、勢いを盛り返して八幡平方面に進んで来ました。
これを討ち滅ぼすために将軍は、源太兄弟達を先鋒センポウ(軍の先頭)として、岩手の
方から八幡平まで進んで来ました。其処ソコには、瑠璃ルリ色の綺麗キレイな水を湛えた沼があ
り、美しい花々(高山植物)が咲き乱れたとても綺麗な処に出ました。将軍は、その美
しさに感動すると共に、神様の住んでおられる処のようだと考えました。そこで将軍は、
兵達を全部集めて、戦イクサの神様である八幡ハチマン大菩薩ダイボサツに必勝祈願をしました。
これで、更に勢いを得たので、賊軍達を迎え撃ち、追撃し、焼山ヤケヤマ付近で決戦を展
開し、遂に登鬼盛を鬼ケ城オニガジョウで討ち取り、賊軍を滅亡させてしまいました。
勝った将軍達は帰りに、また八幡平の山上に来て、兵達を集めて、八幡大菩薩に戦勝
を報告し、感謝のお参りをしました。その時将軍はこの山に、八幡様への感謝の気持ち
を籠めて「八幡平」と呼ぶことにしました。
国立公園「八幡平」頂上
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